茅ヶ崎の轍第26回 道編 「東海道」 協力/茅ヶ崎市文化資料館
市内を通る国道1号は、昔の東海道に一致しています。徳川家康は、江戸・日本橋から京都・三条大橋間に宿場を設置し、東海道五十三次が成立しました。また、1604(慶長9)年から街道整備に取り掛かり、並木の植樹と一里塚の構築を命じています。
江戸時代の茅ヶ崎は、藤沢宿と平塚宿の間にあり、間の宿といわれました。1806(文化3)年頃の東海道の道幅は、旧小和田村付近で約11m 、南湖立場付近で約7m、相模川付近が一番狭く約6mであったといいます。南湖立場は市内の東海道筋では最もにぎわい、本陣(松屋)と脇本陣(江戸屋)があったそうです。
市内には名残の松並木が残されています。最も多く見られるのは茅ケ崎高校付近で、松林中学校入口信号から茅ケ崎高校前歩道橋間に約百本の松があります。
1860(万延元)年の記録には、茅ヶ崎村内だけで1076本とあります。2000(平成12)年は、市内全線で317本あり、そのうち幹の外周70cm以上は154本でした。それ以外は細く、近年補植されたものだと分かります。昔から並木の維持には腐心していたようで、幕府もたびたび細かい指示を出した記録が残っています。
【参考文献/茅ヶ崎市史】
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