11月15日(土)にさがみ農協茅ヶ崎ビルで特別講演会を行う 鈴木 治彦さん 松浪在住 85歳
元気の源は盛り沢山
○…トントントントン―。急な階段もなんのその。背筋も真っ直ぐ伸び、紳士的な物腰で美しい日本語を話す。「茅ヶ崎は空気がとても健やかです。どんなに疲れても、都内から帰って来ようと思わせます」。講演では、散歩や食事などの元気の秘訣「ストレスを溜めない6つのこと」も紹介する予定。「僕は食いしん坊だから」と微笑みながら、40年以上書き綴っている年季の入った自作の「食べ歩き手帖」を読み返す。
〇…生まれ育った辻堂の海岸では、海軍演習場で空の薬莢などを拾って遊んだこともあった。戦時中だった幼少期を「特攻隊となった知り合いもいた」と振り返る言葉は、表情以上に悲しみを感じさせる。母の親戚は歌舞伎役者、父は相撲観戦や宝塚観劇が好きで、5歳の頃から一緒に連れられていた。幼心に「この迫力を自分の言葉で伝えたい」と実況魂が芽生え、慶大中等部3年生の時に「将来はアナウンサーになりたい」と発言し、教員や同級生らを驚かせたという。
〇…2千人以上の難関を突破し、晴れてラジオ東京(現TBS)に入社。その1955年は同局でテレビ放送も開始された年だ。ラジオという音声のみに止まらず、ブラウン管も通じて生の現場を伝える日々。相撲や歌舞伎中継は12年間続き、40代では朝のワイドショーを担当。一躍お茶の間の人気司会者となった。同局を定年退職してからは、フリーキャスターとして司会や講演のほか取材や執筆活動など、幅広い内容で85歳の今でも現役続行中だ。
〇…趣味を「一に歌舞伎とハワイアン。二にジャズと食べ歩き。三に相撲と宝塚」と滑舌爽やか。妻の料理は絶品で、同手帖には「ロールキャベツ…自宅/ビーフシチュー…自宅」と記している。家族の影響で宝塚好きとなった娘の家族はすぐ顔が見える距離に住んでいる。「母の手織りの背広は23着あります。久しぶりに着てみようかな」。家族愛も現役の重要な支えなのだ。
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