第31回 道編 「ラチエン通り」 茅ヶ崎の轍(わだち) 協力/茅ヶ崎市文化資料館
国道1号沿いのTOTO(株)茅ヶ崎工場から国道134号までの直線道路約2・14Kmをラチエン通りといいます。この通りの名は、ドイツ生まれのルドルフ・ラチエン(1881〜1947)にちなんでいます。
彼は1902(明治35)年に来日し、東京・青山の旧伊達家跡に貿易業「ラチエン商会」を営んでいました。1932(昭和7)年、現在の松が丘の一画に建てた彼の別荘は、住宅やいくつかの家屋のほか防風林と畑からなり、1万5千坪程の用地でした。親日家であった彼は、和服で過ごし和食を好んだといいます。庭には大きな池をつくり、別荘前の通り(ラチエン通り)には120本の桜を植えました。彼は、この別荘を終生の住居としました。
また、この通りは江戸時代に茅ヶ崎村と小和田村の境がこの道の位置に引かれていたことから「郷境(ごうざかい)」とも呼ばれていました。この道にあるJRの踏切を「異人館踏切」と呼ぶのは、異人館と呼ばれたボールデン(イギリス人)の屋敷が、現在のひばりが丘にあったからです。そのほか、国道134号付近には、サザンオールスターズの曲に歌われた「パシフィックホテル」が1999年までありました。
【参考文献/茅ヶ崎市史】
|
<PR>