茅ヶ崎の轍(わだち) 第32回 道編 「鎌倉街道」協力/茅ヶ崎市文化資料館
鎌倉街道とは、鎌倉幕府が開かれた後、鎌倉と各地を結んだ中世の古道の総称です。上野国から武蔵府中を経て南下する「上の道」、常陸国や房総からの「下の道」等があり、茅ヶ崎を通る京都・鎌倉間の「京鎌倉往還」は中心的な街道でした。市内の道筋は、ほぼ国道1号に沿って大方その北側を東西に貫きます。鎌倉からの道程は次の通りです。
極楽寺口から片瀬、辻堂を経て現在のJR辻堂駅西側を北上し、茅ヶ崎市内の赤松町と本宿町の境をさらに北上します。東小和田の交差点で国道1号を越え西南に方向を変え、上正寺の北側を西に向かいます。そして松林中の前、茅ケ崎高の裏をたどって海前寺や本村の八王子神社の裏を過ぎJR相模線を渡ります。
その先は中央公園や市民文化会館、市役所の辺りは地形が変わってしまい、その跡をたどることはできません。この辺りから西に向かって道が3本に分かれ、中央の道はやがて矢畑の肥地力で本社塚に至ります。
さらに鶴嶺八幡社の参道を横切り、梅雲寺の横から国道1号を南に渡り、史跡・旧相模川橋脚の脇に出ます。中島では日枝神社と浄林寺のわきを通り、馬入橋の辺りから大住郡に入ったと考えられています。
【参考文献/茅ヶ崎市史】
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