茅ヶ崎の轍(わだち) 第36回 道編 「御江戸道と中原往還」協力/茅ヶ崎市文化資料館
芹沢のほぼ中央に位置する県立茅ケ崎里山公園のメインエントランスまでの広い進入路のそばには旧道があります。県道から公園を北へ突っ切り、腰掛神社の前を通り藤沢市の打戻に抜ける約3Kmの道のりです。
江戸時代半ば頃に描かれたと思われる芹沢村の村絵図には、旧道の小出川の橋のそばに「御江戸道 十弐里(約48Km)新道也」、橋の名は「新道橋(しんみちばし)」とあります。旧道全体が「御江戸道」なのか、あるいは小出川から北方をそう呼んだのかは不明ですが、新道橋のある場所が江戸を目指す出発点だったことが分かります。江戸時代、茅ヶ崎から江戸へは東海道が普通だったように思われますが、茅ヶ崎の一里塚から江戸・日本橋まで十四里(約56Km)あるのに対し、用田村(現・藤沢市用田)で中原往還に通じる御江戸道を使うと十二里で行くことができることから、芹沢辺りからは御江戸道を使ったと考えられます。
中原往還は、室町時代の記録にも見られる古道です。江戸時代初期には徳川家康が鷹狩りの名目でこの往還を通り、御殿(現・平塚市中原)に通ったことで知られ、東海道が整備される以前は武蔵と相模を結ぶ重要な幹線だったようです。
【参考文献/茅ヶ崎市史】
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