茅ヶ崎の轍(わだち) 第42回 道編「エメロード茅ヶ崎」 協力/茅ヶ崎市文化資料館
「エメロード茅ヶ崎」は茅ヶ崎駅北口から国道1号線の十間坂交差点へ抜ける約450mの道で、「銀座通り」や「停車場通り」などの呼び名がありました。
「停車場通り」は1898(明治31)年に東海道線茅ヶ崎停車場(茅ヶ崎駅)開業後に付けられ、それまで繁華街だった茶屋町の多くの店舗が移転しました。
大正時代に国道1号線沿いに開業した純水館(製糸工場)の女子工員の増加をきっかけに日用品の需要が増え、商興会が組織されました。通りには街灯が設置され、駅を中心に新しい街並みができ、新町と呼ぶようになりました。
昭和になり地元の商店会が地域振興のためこの通りを「茅ヶ崎銀座通り」と名付けました。厳島神社には玉垣(神社周囲に設ける垣)が造られています。1958(昭和33)年に地域の人が奉納したもので、当時の街並みが想像できます。
1985(昭和60)年に「茅ヶ崎銀座通り」の愛称が「エメロード茅ヶ崎」と改められ、現在に至っています。緑色の光沢がある宝石「エメラルド」と道「ロード」を組合せたもので、完成を記念してアーチや街路灯に「エメロード茅ヶ崎」と記しています。
【参考文献/茅ヶ崎市史】
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