茅ヶ崎の轍(わだち) 第44回(前編) 道編「小和田・菱沼地区の道」 協力/茅ヶ崎市文化資料館
小和田・菱沼地区の神輿道や馬道・浜道といった生活道を分けて紹介します。
神輿道(みこしみち)
戦前、浜降祭の時、菱沼村の鎮守である八王子神社の神輿が通った道です。この道は神社から松林小学校の南を東海道に向かい、現在の松林一丁目から国道1号(東海道)を横切り、小桜町、ひばりが丘、旭が丘、浜須賀中学校の西側、菱沼海岸を経て、ラチエン通りの少し東側の海岸に抜けていました。戦後間もないころ、東海道以南の道筋には民家はほとんどなく、砂利道で両側に畑が広がり、春は麦、浜降祭のころはサツマイモが作付けされていました。神輿の担ぎ手が現在に比べて少なかったので、途中で何度か休みを入れながら渡御(とぎょ)したそうです。
馬道(うまみち)
現在の浜竹四丁目から常盤町を経て、県道戸塚茅ヶ崎線を横切り、海岸へ出る道は馬道といわれていました。江戸時代、この一帯には幕府の直轄地があり、そのほとんどが浪山御林(なみやまおはやし)と呼ばれる松林でした。ここから切り出された松の木は江戸城の改築等に使用するため馬に引かせ、この馬道を通って柳島まで運んでいかだを組み、海路で江戸へ輸送したと伝えられています。
【参考文献/茅ヶ崎市史】
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