セーリングの日本代表としてリオデジャネイロオリンピックに出場する 高橋 賢次さん 東海岸南在住 33歳
メダルを「恩返し」に
○…3月にアジア選手権を制し、リオへの切符を手にした。結果が出せなかったロンドンの悔しさをバネに、練習を積んできた4年間。「長かった」と安堵するも「まだスタートラインに立っただけ。気持ちを切らさず全身全霊で挑みたい」と2度目の五輪挑戦に兜の緒を締めなおす。「家族や茅ヶ崎のみんなのおかげでここまでこれた」
○…最愛の妻との出会いも茅ヶ崎。学生時代、お互いに茅ヶ崎駅南口の居酒屋「升源」でバイトしていたことが馴れ初めという。「年の半分が海外遠征のため、単身で実家暮らし。妻は2人の子どもと盛岡の自宅にいます。一緒にいられず寂しい思いをさせているが、これもリオに専念するため。家族や地元の人たちに支えられ、助けられています」
○…姉・弟と両親のもと茅ヶ崎で生まれ育ち、東海岸小、第一中、西浜高に通った。「自分の人生そのもの」と話すセーリングに出会ったのは小3の時。「父に連れられて江の島のジュニアのクラブに。父も経験者ではなかったが何かやらせたかったよう」。中学では一時、バスケ部にも所属したが、セーリングの練習があったため、土日の試合には出られなかった。船を続けてきたのは懸命にサポートしてくれる父がいたから。「普段酒好きで不器用な父が自分でもボートを買って乗ったりと、不思議とそれだけは勉強していましたね」。ロンドン五輪後、そんな父が突然他界、1番の理解者を失った。「オリンピックに出た時に誰よりも喜んでくれた父。もう1度五輪の舞台に立つ自分の姿を見せたかった」。亡き父への思いを話す目には光るものがあった。
○…アジア選手権では進路を誤るなどトラブルもあったが、急な追い風に助けられたという。「父やみんなが帆を押してくれた気がした。本番のリオではこれまでの感謝を形にしたい。必ずメダルを獲って茅ヶ崎に帰りたい」。これまでの応援全てを追い風に「恩返しのメダル」を狙いにいく。
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