茅ヶ崎版

茅ヶ崎の轍(わだち)の記事一覧

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    第22回「堤」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     堤村の南北と東の三方は丘陵です。中央の西に開いた谷戸の縁に、人々は屋敷を構えていました。  鎮守の諏訪神社は、今は建彦...(続きを読む)

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    第21回「芹沢」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     芹沢村は高座丘陵の北向き斜面に広がり、市の最北部に位置していました。  関東支配した徳川家康は1591(天正19)年、...(続きを読む)

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    第20回「行谷(なめがや)」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     行谷は、北部に広がる高座丘陵に位置し、江戸時代に行谷村、芹沢村、下寺尾村、堤村がつくられました。行谷村は西に向かって開いた谷戸の中にありました。『新...(続きを読む)

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    第19回「菱沼」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     菱沼という地名は、比較的早く歴史に登場します。  鎌倉時代末期の文献に「相模国大庭御厨内菱沼郷」とあります。16世紀初...(続きを読む)

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    第18回「小和田」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     江戸時代、小和田村と菱沼村は入り組んでいました。大山道に近いあたりが菱沼村、東海道(国道1号)の両側から海までが小和田村だったようです。...(続きを読む)

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    第17回「室田」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     幕末の頃につくられたと思われる室田村の絵図から、当時の景観を知ることができます。  絵図には、大山道と東海道を結ぶ道が...(続きを読む)

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    第16回「高田」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     江戸時代の高田村は、こぢんまりとした村で小字は大久保、六斗蒔(ろくとまき)、鶴田の三つしかありませんでした。  高田村...(続きを読む)

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    第15回「赤羽根」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     赤羽根では、明治時代初期に村内を15に区分し、田、畑、宅地、山林などを残らず描いた絵図と台帳をつくり、一番から始まる通し番号を付けました。その絵図を...(続きを読む)

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    第14回「甘沼」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     甘沼は、江戸時代の村名でいうと、東と南は赤羽根、西は香川、北は堤と下寺尾に接していました。  江戸時代末期に描かれたと...(続きを読む)

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    第13回「香川」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     香川の由来は『皇国地誌』に「遠い昔、隣の下寺尾村に咲く梅の香が、小出川の流れに乗って漂ってきたことによる」とあります。...(続きを読む)

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    第12回「柳島」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     柳島村は相模川河口の東側にあり、現在の柳島一・二丁目、浜見平、柳島海岸、柳島の範囲です。『新編相模国風土記稿』には、千ノ川(松尾川)が村の東から南へ...(続きを読む)

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    第11回「松尾」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     松尾村は相模川の河口近くの村でした。江戸時代に村は徳川幕府の直轄地(天領)になりました。その後、1762(宝暦12)年に旗本の岡部小左衛門忠政の領地...(続きを読む)

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    第10回「今宿」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     「宿」が付く地名は各地にあります。交通の要地にあたる宿泊地の意味に解され、古い宿を本宿、新しい宿を新宿、今宿などといいます。今宿村の名が最初に見られ...(続きを読む)

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    第9回「下町屋」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     下町屋は、現在の国道1号線(東海道)の鳥井戸橋を西に渡った辺りに位置します。東海道が村の中ほどを東西に走り、小出川は村の西側を北から南方面へ流れ下っ...(続きを読む)

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    第8回「矢畑」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     矢畑(やばた)は茅ヶ崎市のほぼ中央にあります。  矢畑の地名が文書で最初に見られるのは、室町時代半ば(1470年)です...(続きを読む)

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    第7回「浜之郷」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     国道1号線・鳥井戸橋のそばに、鶴嶺八幡社の大鳥居があります。神社の周りと参道一帯には、かつて田んぼが広がっており、その東側が浜之郷村でした。...(続きを読む)

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    第6回「円蔵」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     円蔵は、江戸時代には円蔵村と呼ばれ、その範囲は、今の円蔵と円蔵一丁目・二丁目、鶴が台あたりでした。  1859年(安政...(続きを読む)

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    第5回「西久保」

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    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     江戸時代の西久保は、北は香川、大曲(寒川町)、西は萩園、南は円蔵、浜之郷の村々と接していました。人家は、妙運寺や鎮守の日吉神社そばを南下する旧道に沿...(続きを読む)

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    第4回 「平太夫新田」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     市内には江戸時代の村が23ありましたが、新田という名を付けていたのは平太夫新田だけです。  新田とは、不毛な原野や大き...(続きを読む)

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    第3回 「萩園」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     相模川に近い萩園は、川の氾濫のために土砂が堆積した土地です。昔の相模川は蛇行の激しい川で、洪水や氾濫を繰り返し、付近の村はその水害の復旧や用水の利用...(続きを読む)

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    第2回「南湖」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     南湖は茅ヶ崎村に属していましたが、江戸時代に編纂された新編相模風土記稿に「南湖村と地域の人が呼んでいる」と記されるほど独自性のある地域でした。茶屋町...(続きを読む)

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    第1回「茅ヶ崎」

    茅ヶ崎の轍(わだち)

    協力/茅ヶ崎市文化資料館

     茅ヶ崎市内には、1万年以上続く暮らしの営みが「轍」のように残されています。本コーナーでは、地名、道、史跡などを通じて、市の歴史を紹介します。...(続きを読む)

㈱平和堂典礼

藤沢市辻堂神台2-2-41 0120-59-6999

https://heiwadou.com/sp/

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