自分史『花万華』を刊行した 志波 惠子(しば よしこ)さん 岡田在住 85歳
後世に戦争体験残したい
○…「何年か前から自分史を書こうか書くまいか悩んだが、戦後70年という節目で、後世に自分の戦争体験を書き残すことにした」。自分史『花万華』は、壮絶な戦争体験、寒川で教鞭をとった30有余年、退職後の暮らしについて記されている。悲惨な事件が後を絶たない世の中。だからこそ、ためらっていた執筆の後押しにもなったようだが、自身が体験した戦争体験――それは『壮絶』という言葉では語りつくせないほど衝撃的なものだった。
○…1944年6月、父親の赴任先の台湾で戦火が激しくなり、一家で日本に帰る途中の引き揚げ船での出来事だった。翌朝には九州到着という夜、船は突然大きな音と振動に見舞われた。米軍の魚雷が直撃したのだ。船は沈没した。それでも、いくつかの幸運が重なり夜明けまで海上で浮遊した。翌朝救助船に助けられたが、母と幼い3人の妹弟を失った。「暗くて何も見えない海上で必死に木片にしがみついていた。深い悲しみに襲われたのは救助された後でした」。13歳の少女が体験した現実は、豪華客船の遭難を描いたあの映画のシーンそのものだった。
○…教員を志したのは「私と同じように戦争で親兄弟を亡くした子どもたちの力になりたい」と思ったから。長崎に生まれ、寒川に移り住んだのが19歳のとき。以来、教育現場で子どもたちと全力で向き合ってきた。退職後は寒川町初の女性教育委員としても活躍。「幸せな老後を送れるのも教え子たちのおかげ。亡くなった母たちが守ってくれた恩返しもしないとね」と微笑んだ。
〇…自分史のタイトル『花万華』は、趣味である染物の花模様のこと。「万華鏡の小さな穴から覗き見るように80余年の歳月に想いを巡らせた」と話し、「一人の女が愛と光を求めて生きてきた生き様の記録が、人の強さと弱さを浮かび上がらせ『華』と見えたら、こんなに嬉しいことはない」と結んでいる。
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