寒川町卓球協会の会長を務める 宇野 和之さん 一之宮在住 70歳
かつては全日本出場も
○…3年前に寒川町卓球協会の会長に就任。寒川町の卓球界の活性化に励む。
○…千葉県出身。幼少の頃からスポーツ万能だったが、中学に入学して最初に選んだスポーツはバスケットボールだった。1年生にしてレギュラーとして活躍するなど、早くからチームの中心選手となったが、様ざまな事情がからみ、退部することを決意。ほどなく卓球部の門を叩いたという。「とにかく試合に出たかった。一番試合に出られる可能性が高いと思って卓球を選んだ」と当時を振り返る。それからは猛練習の毎日だった。朝は5時に練習開始。8時に朝食をとるため一度帰宅し、それから登校。放課後も午後7時までみっちりと鍛え上げた。その結果、2年生のときに千葉県大会で優勝。「田舎の学校が快挙だってことで、けっこうな騒ぎになりました」と笑う。
○…それから先は卓球一筋。高校は名門・大多喜高校に進み、1年時に団体戦を制した。日立化成に就職すると、20歳のときに全日本選手権に出場。卓球選手としてピークを迎えた。「足腰を鍛えるために鉛入りの靴を履いた」と当時の練習を振り返る。テレビアニメ「巨人の星」が流行った昭和40年代の話だ。
○…転職して寒川に移り住んだのが1979年のこと。以来、寒川の卓球ためにひと肌もふた肌も脱いだ。休みの日は卓球漬けとなり、妻が当時を振り返って「まるで母子家庭」と笑って話すほどの熱中ぶりだったという。1982年には寒川で初のオープン大会開催にこぎつけた。卓球台が足りなくて各企業に頭を下げてまわったり、幅広い地域から選手をかき集めたりと、現在は500人規模に成長した大会の黎明期を支え続けた。「先輩や友人、多くのライバルに恵まれて、ここまで楽しい卓球人生を過ごせた」。日陰のスポーツだった卓球が、高齢者の居場所としても脚光を浴び始めた。「2年後は40周年を迎えます。まだまだ盛り上げていきますよ」
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