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最新号:2012年2月 2日号
2010年9月 9日号
○…「全国制覇を果たせなかったのは悔しいが、後輩に優勝への思いを継承できたことに満足しています」と語る。甲子園唯一の出場機会は、決勝の興南戦。9回裏2死、12点差の場面だった。ベンチが共有していたのは昨夏の県予選、12点差から3点差まで追い上げた先輩の姿だった。3年のお前が結果を出してこい−。監督から代打に送り出された。「打たないと負けてしまう。最後の打者には絶対ならないという思いだけ。緊張はなかった」。結果は三振だったが、3年間の意地を見せた強振だった。
○…朴訥(ぼくとつ)な語り口に落ち着いた物腰。名門野球部の副主将らしい風格がある。監督にはプレーヤーとして以上に、選手のまとめ役であることを求められた。定位置の二塁守備は自他共に認める一級品だが、出場機会に恵まれなかった。腐ることもあったが、自分の役割を必死に考えた。いつしか誰よりもベンチで声を出していた。監督に怒鳴られた選手を呼んでは話し相手になっていた。チームでの求心力は増していった。
○…それを象徴するエピソードがある。地方予選直前、大乱調に苦しむ一二三投手が横手投げを模索していた時、打席に立つよう頼まれた。チームの行方を占う投球を誰よりも先に打席から見た。「本来は上手投げがベストでしょうが、球に勢いを感じた」。その直感を伝え、エースとチームに自信を与えた。
○…今後の進路は模索中だというが、「高校の教師になって野球部を指導できれば」というのも、思い描く夢のひとつ。決勝戦後の夜、宿舎の監督部屋に呼ばれた。お前もこれを付けられるように頑張れ−。手渡されたのは、監督が腰につけていた監督証のリボンだった。「嬉しかった」と、一言。母校の監督になれればいいね、という記者の問いかけには「自分には無理」と謙遜しながらも、「そうなれたら最高ですね」とぽつり。取材中一番の笑顔を照れながら浮かべていた。