平塚(まち)の足跡 〜町名探訪〜 第74回 「大島」
城島地区の北東に位置し、東西にかつての大山道であった伊勢原藤沢線、南北に大島明石線が通り、市内へ通じる交通の要地である。
この周辺は、室町時代には島ケ原と呼ばれた。一帯は沼沢地で、その中でも大きく浮き上がった土地という意味から「大島」と称した。城島地区の小鍋島・下島の地名も、沼沢の中に浮かび上がった土地に由来する。
史料では、永禄2年(1559)に作成された『北条氏所領役帳』に「中郡大嶋」という地名の記述がある。
大島の北東は渋田川・歌川・玉川の3河川が合流する地点で、かつては大雨の度に洪水に見舞われた。寺院が5か寺と城島地区の中で最も多い点も特徴で、かつては非常に栄えた土地であったことがうかがえる。
大島の中央に位置する正福寺薬師堂の本尊・薬師如来立像は平安時代後期の作で、同寺所蔵の庚申塔は県指定文化財に指定されている。
【協力/平塚市史編さん担当、参考文献『城島村々勢要覧』『平塚市史1』『中郡勢誌』】
■次回は日向岡の予定
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