平塚(まち)の足跡 〜町名探訪〜 第82回 「入部」
公所北交差点の東側に位置し、北を入野、西を広川、南東を長持と接する。北東を流れる金目川が形成した沖積(ちゅうせき)地で、民家はなく水田が占める。かつては「長持入部」と称した。
入部という地名は「入作(いりさく)」を意味し、荘園時代に公所村の農民がこの地で耕作していたことに由来する。寛文6年(1666年)の検地帳で長持入部という村名が確認でき、総耕地は約5町7反だった。
徳川家康の入国後は同氏直轄領だったが、寛文3年(1663年)に約5反が小田原藩へと引き継がれた。小田原藩の領地では、小田原宿救米(すくいまい=飢饉や災害時、罹災者に支給した米)が生産されていた。
長持入部は明治22年(1889年)、入野村、長持村、寺田縄村、飯嶋村と合併し、大住郡金田村となった。
【協力▽平塚市市史編さん担当/参考文献▽『平塚市史3』『日本歴史地名大系第14巻神奈川の地名』『中郡勢誌』など】
■次回は達上ケ丘の予定
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