19日(日本時間)に閉幕したリオデジャネイロパラリンピックの余韻も束の間、ひたむきに4年後の東京を目指して汗を流すアスリートが平塚にいる。車いすバスケットボールの小嶋謙さん(38)=写真左=と矢守睦さん(31)=同右=だ。二人は県内の強豪「パラ神奈川SC」の所属選手で、平塚市の職員でもある。
キキーッ、キキーッ。10日夜、藤沢市内の体育館には選手の熱気が立ち込めていた。コートの広さもリングの高さも、5人対5人も一般のバスケットボールと同じ。ただ、シューズの代わりに両輪がフロアの摩擦で甲高い音を響かせる。
バスケットボールとの違いの一つが「持ち点」。選手には障害の度合いに応じて点数が定められ、出場する5人の合計が14点以下と決められている。公平性を保つためのルールだ。持ち点は1・0〜4・5点で振り分けられ、障害の重い選手ほど点数は低くなる。小嶋さんの持ち点は「1」、矢守さんは「1・5」。
小嶋さんは南金目出身。金目中学校ではバドミントン部で活躍したスポーツマンだった。大学4年の時、スキー競技のモーグルでジャンプに失敗し背骨を損傷。下半身の自由を失った。卒業式の数日前だった。
入院中、車いすバスケの関係者が病室へスカウトに訪れた。22歳の若さと体格を買われ「挑戦してみよう」とコートに立つ決心をした。
矢守さんは札場町出身。港小、太洋中、茅ヶ崎西浜高と一貫してサッカーを続け、18歳の時、乗り始めたばかりのオートバイで転倒事故を起こした。
車いすバスケを題材にした漫画「リアル」が転機に。偶然本を手に取り「こんなスポーツがあるのか」と関心を抱いた。失意の中に光が射した瞬間だった。
当初別々のチームに所属していたが、練習場が一緒だったこともあり「良い選手がいるな」と互いの存在を意識し合っていた二人。同じチームになって4年が経った。「長所を生かしながら、良い連携で試合に臨めている」と相性の良さを挙げる小嶋さんと「頼れる兄のような存在」と信頼を寄せる矢守さん。
チームは全国大会をかけた11月の関東予選に向け練習の日々。目標はともに「日本一」だが、その先は別々の青写真を描く。
矢守さんは代表合宿に参加したことはあるが、日の丸を付けたことはまだない。「持ち点がある車いすバスケは、努力すれば誰でもコートに立てる競技。努力を続けて東京を目指したい」。パラ神奈川SCの金子幸広監督は、リオにも出場したチームメートの石川丈則選手(41)を引き合いに「石川選手の次を担うのは矢守選手」と期待する。
11月に39歳となる小嶋さんは一児の父でもある。俊敏な動きは今もチームに欠かせない武器だが、引退後を考える機会も増えた。「矢守選手には東京パラリンピックに出てほしい。できる限り協力していきたい」と先を見据えている。
「困難を前に一歩を踏み出せずにいる人の後押しになれたら」と話した二人。競技に関わる者として求めるのは勝利だけではない。全力プレーが車いすバスケへの恩返しにもなっている。
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