電動車いすサッカーの「ドリーム・カップ」(主催/県電動車椅子サッカー協会)が18日、トッケイセキュリティ平塚総合体育館で開催された。競技の普及を目的に毎年平塚で開かれ、今年で20回目。まだまだ知名度が高いとは言えない障害者スポーツにかける関係者の思いを取材した。
競技を普及させパラリン種目に
この競技は脳性マヒなどで四肢に障害があり、電動車いすで生活する人が主にプレー。バスケットボールコートを使い4対4で戦い、特殊な規定を除けばルールはサッカーと同じ。車体を操作しながらフットガードと呼ばれるバンパーで直径30cmのボールを奪い合い、幅6mのゴールに入れば1点。前後半20分ずつで総得点を競う。制限速度は国際ルールで時速10Km以下に定められ、めまぐるしい攻守の入れ替えが試合の見所だ。
1978年にフランスで発祥し、日本では23年前にリハビリの一環として大阪府内の施設で始まったとされる。国内には22都道府県に電動車椅子サッカー協会があり、その上に日本電動車椅子サッカー協会がある。国際大会を統括するFIPFAの本部はフランス。日本を含む27カ国が加盟し、2007年に日本で第1回W杯が開かれた。今年7月には10カ国による第3回大会が米フロリダ州で開催される。
神奈川県に協会を立ち上げたのは、平塚出身の齋藤純一さん(52)。齋藤さんは金旭中、五領ヶ台高校と進み、大学卒業後は教員に。95年から2年間は県総合リハビリテーションセンター(厚木市)に勤め、身体障害者の生活訓練に携わった。時を同じくして電動車いすサッカーの存在を知った。
中学時代からサッカーをしていた縁もあり「入所者たちにサッカーの面白さを味わってもらおう」と同センターに持ち込んだ齋藤さん。入所者が退所後も競技に親しめるよう、その受け皿として県の協会を立ち上げた。その後ドリーム・カップの立役者にもなった。
同大会には前年の上位3チームに加え、全国の強豪3チームを齋藤さんらが招待。初開催から20年が経ち、選手や関係者の間でも「日本最強クラブチームが集結する大会」として知られるまでになった。
ヨコハマクラッカーズの選手として今大会に出場したW杯日本代表の竹田敦史さん(41)は19歳の時に齋藤さんから競技を教わったといい、「ドリーム・カップでの経験を世界に生かしたい」と話す。
齋藤さんは「この大会を継続させ競技をもっと多くの方々に知ってもらいたい。電動車いすサッカーがいつかパラリンピックの公式種目になれば」と熱望している。
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