「日本六百名山」「日本百高山」を踏破した 田中 弘士さん めぐみが丘在住 79歳
「生涯現役」山と添い遂げる
○…山に魅せられ66年。日本山岳会が選定する『日本百高山』を今月10日に踏破、これまでに完登した日本三百名山と自らの選んだ三百名山を加えた『日本六百名山』、計七百名山を渡り歩いた。有終の美を飾った塩見岳(3046m)から蝙蝠(こうもり)岳(2864m)のルートでは台風の影響で、山小屋で二晩を過ごす事態に見舞われたが、「徐々に近づく蝙蝠岳に夢が実現するのを感じた」とほほえむ。
○…東京都大田区で生まれた生粋の江戸っ子。家業だった浅草海苔の生産を子供の頃から手伝い、戦後復興を肌で感じた。初登山は中1の時の御岳山。ランタンと月明かりを頼りながら、担任と仲間と進んだ。道中でテントを張り宿泊、仲間と満天の星の下で山歌を歌い合った。爽やかな空気や木々のざわめき、登頂した時の達成感に心を奪われ「戦後の暗い生活の中に自然という明るい希望を持つことができた。あれが人生の転機」と目を細める。就職後もアタックを続けマッターホルンやモンブランといった海外の名山のほか沢登り、ロッククライミング、スキーなどをたしなみ山と共に人生を歩んでいる。
○…几帳面な性格で訪れた場所を地図と日記に残し、それらを編集した『私の山行日記』は4冊に及ぶ。「正月は家にいたことがない」ほど、休日のたびに取りつかれたように登り続けた。背中を見守る妻には「朝昼食の弁当を用意してくれた。妻の支えがあったからこその完登だった」と感謝の思いをにじませる。
○…11年前に横浜から移住しためぐみが丘でも、日課の朝夕40分ずつのウォーキングで健脚を維持、近隣住民とお喋りするのが息抜きだ。次の目標には『花の百名山』の踏破を掲げ、あと14山まで迫る。自らが立ち上げ代表を務める「みろく山の会百名山クラブ」で後継者育成にも励む。モットーである「安全で楽しい登山」を守りながら、「生涯現役を貫きたい」と、未だ意欲は衰えない。
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