三重代表として初めて夏の甲子園に挑む津田学園。平塚学園野球部を指揮する八木崇文さん(38)は大学卒業後、社会科教諭として津田学園へ赴任し、2001年8月から同校野球部の監督に就任した。
当時23歳の青年監督だったが、見事チームを翌春のセンバツ大会に導き、甲子園では札幌日大に勝利した。自身も法政二高の投手として神奈川から甲子園を目指したが、その夢はかなわなかった。「監督として臨んだ甲子園は予想以上の夢舞台でした」と振り返る。
津田学園を離れ、平塚学園野球部の監督に就いたのは08年。毎年5月には津田学園との練習試合を大磯町の専用グラウンドで行っている。「今年はとくに強いな、と思った」と津田学園の甲子園初切符に納得の表情。一方の平塚学園は16強でこの夏を終えた。
現在、新チームは秋季県大会で3位以上をめざし、その先にある関東大会、来年のセンバツ大会出場を見据え練習の毎日を送る。
「津田学園には素直におめでとうございますと言いたいですね。平学も負けてられませんよ」。100回記念大会となる来夏は神奈川から2チームが甲子園の土を踏むことができる。20年ぶり2度目の「夢舞台」を目指して平塚学園の挑戦は続く。
4年連続で西東京大会の決勝に進み、清宮幸太郎を擁する早稲田実業を下した東海大菅生。歓喜の瞬間を平塚の海で迎えたのが、OBの小川祐樹さん(20)だ。
2014年(96回大会)の西東京大会を「8番中堅手」として戦った小川さん。この年の東海大菅生はシード校として優勝候補にも挙げられ「周囲の期待は相当でした」。決勝の相手は同じく優勝候補の日大鶴ヶ丘。「夢の甲子園まであと一勝」という苛烈なプレッシャーのなか、試合開始のサイレンは鳴った。
同点で迎えた九回裏の二死一・二塁、センターを守る小川さんの目には何度もサインに首を振る味方投手の姿。その直後の一球がレフトに跳ね返され、最後の夏が終わった。「悩んだ末の最善の一球だったと思うんです。悔いはないですよ」。準優勝メダルを手に今は笑顔で振り返ることができる。
現在、平塚の海でライフセーバーを務め監視長を任されている。「都大会決勝も見に行きたかったし、甲子園にも行きたいですが、今は海水浴客の皆様を守るのが自分の使命」と頼もしい。
4度目の正直で大願成就してくれた後輩たちをいつも誇りに思っている。ビーチに流れるラジオ中継を聞きながら、甲子園で戦う後輩たちにひそかにエールを送るつもりだ。
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