日本国憲法の制定過程から学ぶ 「the people」を国民と翻訳した政府 〈寄稿〉文/小川光夫 No.64
前回は、日本政府が「国会」を何故「国民議会」としなかったことについて述べたが、今回は何故「臣民」が「国民」となったのかについて述べよう。
日本政府は、GHQ草案にある前文や第1条にある「the people」をどのように訳すべきか悩んでいた。ケーディス大佐など民政局の人達は、民主的な政府を樹立させるには、「the peopl
e」は「主権在民」を意味するものでなければならないとしていたが、日本政府は主権が「the Imperial(天皇)」から「the people(人民)」へ移行することは国家の基本的な性格の変更であると憂慮していた。
ところで、アメリカはイギリスのような王政をとらず、しかもマグナ・カルタや権利請願のように国王に対する人民の反抗という相互の敵対関係をもっていなかった。したがって、民政局の人達は、日本政府がどちらかというと社会主義革命などで用いている「人民」と一般的、中立的な意味する「国民」との微妙な違いについては特に気にもしていなかった。しかし戦前の我が国では、「the people」は「臣民(総覧者である天皇の下に従い、政治を為す臣とその下に位置する民を合わせもつ)」と訳していたが、占領下の日本政府が「the people」を「臣民」とすることは不可能であった。困った日本政府は「the people」を「国民」と訳し、そのなかに天皇を含むとして、主権を天皇から切り離さないようにした。こうして前文では「日本国民は…ここに国民の総意が至高なものであることを宣言し…」、第1条では「…この地位は、日本国民の至高の総意に基づく」とした。この「日本国民の至高の総意」については、衆議院本会議や帝国議会憲法改正案特別委員会、芦田小委員会などで何度も「国民の至高の総意に基づく」という言葉が不明瞭であるとして討議が為されている。しかし日本政府は、天皇が「国民」であることを論じることによって、日本の国体の基本的な性格が変化しないことを願っていた。
民政局側でも前文、第1条において、「主権」という言葉を遣わずに「至高」という不明瞭な言葉を使用したことについて、「至高」ではなく「主権在民」という言葉をはっきりと述べるように圧力をかけてきた。日本政府は、そのため、前文、第1条の「至高」という言葉は除いたものの「the people」をそのまま「国民」と訳して天皇を特別な主権者の一人として加え、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」(第1条)とした。
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