放哉(ほうさい)賞に野谷真治さん(二宮町) 被災者へ心を寄せた句「言葉の花束そろえる陽だまり」
「咳をしても一人」の句で知られる自由律俳句の俳人尾崎放哉を顕彰する第14回放哉賞で、二宮町在住の野谷真治さんの作品「言葉の花束そろえる陽だまり」が大賞に選ばれた。昨年3月に発生した東日本大震災の被災者を元気づけたいという願いを俳句に込めた。
放哉賞は自由律俳句では全国で唯一の公募コンクール。主催/「放哉」南郷庵友の会。共催/自由律俳句結社「層雲」。後援/小豆島尾崎放哉記念館。第14回放哉賞には北海道から九州まで190名から396句が寄せられた。
「言葉の花束そろえる陽だまり」で大賞を受賞した野谷さんは、東日本大震災が起きた後にこの句を作ったという。「すぐに被災地へ行って直接手伝うことはできないが、句として言葉の花束を贈ることで被災地の人たちに少しでも元気になってもらいたいと思った」と語る。
選考には「層雲」代表があたり、野谷さんの作品は「『言葉の花束そろえる』と、とにかく喜びの極み、人の気持ちが一つになっている。『陽だまり』はそれほど広くない場所でのこと。『陽だまり』から『言葉の…』と循環するリズムに、何度読んでも情景が現れる」と高く評価された。
表彰式は放哉の命日である4月7日に尾崎放哉記念館(香川県小豆郡土庄町)で行われる。
尾崎放哉(本名秀雄)は明治18年鳥取生まれ。鳥取県第一中学校時代から俳句を作り始める。東京帝国大学法学部卒業後、保険会社に勤務。エリートでありながら、会社員生活になじむことができず、酒に溺れ、仕事や家族まで捨ててしまう。孤独と貧窮、病苦のなかで各地を流浪し、京都、須磨、福井県小浜で寺男をしながら自由律俳句を詠んだ。大正14年、香川県小豆島の西光寺奥の院南郷庵の庵主になる。翌年4月7日、同庵で41歳の生涯を閉じた。代表作品に「よい月を一人で見て寝る」「いれものがない両手で受ける」などがある。
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