二宮ゆかりの画家 連載第3回 二見利節(としとき)・その生涯
放浪生活から画業へ
昭和二年、ある図案家の弟子として再び東京の生活が始まったが、数か月でそこを飛び出してしまった。行くあてもなく、さまよっていた利次は、銀座界隈で見受ける似顔絵描きの仲間に入った。看板描きの手伝いの仕事があれば、そのほうにも出向いた。彼の絵心がそうさせたのであろう。
当時、銀座の露店は、千疋屋が取り仕切っていた。毎日出店料の集金をするのである。ここで集金の仕事をしていた沢崎節(とき)子と知りあった。似顔絵描きの仕事の合間に集金の手伝いもした。沢崎節子からもずいぶん世話になったようである。たまたま似顔絵のコンクールがあって出品した利次の絵が一等に当選してしまった。「俺は絵がうまいんだ」と自己満足した利次は、ある画家を訪ねて、似顔絵の批判を請うた。ここで「絵はこういうものではない」と、こんこんと諭され、田舎に帰って近くの画家に就いて絵を学ぶように勧められた。これが利次の画業を志す第一歩であった。
※「二宮町近代史話」(昭和60年11月刊行)より引用
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二宮町にアトリエを構え、創作活動に打ち込んだ洋画家二見利節(1911〜1976年)の生涯を紹介します。
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