二宮ゆかりの画家 連載第4回 二見利節(としとき)・その生涯
弟子入りと画友
昭和六年再度二宮に帰った利次は、井上三綱の門をたたき弟子となった。三綱は以前は二宮の原田に住まい、牛の絵を描くことで有名であった。このころは住居を酒匂に移されていた。自分の描いた絵を持っては酒匂の師のもとに通った。ここで本荘赳、柏木房太郎らの兄弟弟子となった。母親は茶屋町に帰って以来、家で和裁教室を開いて近隣の女子に和裁を教えておられた。七人の子供を教育するのは大変であったようである。収入の無い利次には絵を描くのも大変であった。
裏にある半ば傾きかけた藁葺屋根の物置小屋がアトリエ、高価なカンバスは求める金が無い。中南米からの輸入品の入って来る麻袋を買い求めてきては、これを木枠に張り付け、白ペンキで塗りつぶすとりっぱなカンバスの代用品ができ上がる。戦前の彼の作品の大きなものは、ほとんどこれに描かれている。額縁はほとんどが自家製、材料は製材所の廃材、胡粉とニカワ、これで立派にでき上がるのである。こうして貧乏と戦いながら画業に日夜を費やしたのである。
春陽展に入選
昭和八年の春、物置小屋のアトリエで描き上げられた「庭」(現在の題名『温かい部屋』)が第十一回春陽展に入選したのである。初入選、例の自家製のカンバスに描かれ、自家製の額縁におさまって、彼独特の渋さを持った五十号の作品は、庭に置かれた藤椅子を窓越しに描いたものである。後にこの絵を二宮小学校に貸与し正面昇降口に飾られてあった。一時この絵も取り外されて影をひそめていたが、最近また元の場所に飾られているようである(現在は、ふたみ記念館にて展示中)。
※「二宮町近代史話」(昭和60年11月刊行)より引用
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二宮町にアトリエを構え、創作活動に打ち込んだ洋画家二見利節(1911〜1976年)の生涯を紹介しています。
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3月29日