二宮ゆかりの画家 連載第8回 二見利節(としとき)・その生涯
二見氏の個展に 木村荘八
油絵は体質だと云はれるが、その色の決定や手法の採択は文字通り体質に基づくだろう。こういう作者と画面との有機的な関係を如実に示す作家は、少ないものである。二見君などは、その珍らしい若手の一人だと思う。二見君の個展によき鑑賞のあらんことを念じつつ。
二見君のことども青山義雄
今から六年前、春陽会で初めて二見君の作品六点が並んでいるのを見た時、その逞しい元気と、質実な仕事振りに打たれた。カラ元気であばれた絵は、今の画壇に沢山あるがほんとの力があって、あぶな気のない仕事は実に稀だ。それだけに私はこの作家に期待を持った。果して次々と歩む途は正しかった。文展に参加して以来、直ちに二度続けて特選を得て無鑑査に推されたのも当然の実力の賜物である。其の後も勇猛に芸道を邁進して何物をも顧みぬ一本気な情熱は羨ましい程だ。立派な天分を備へた画家であり、純真直情の愛すべき青年である。
結婚、薬師寺の赤い塔
昭和十六年画題を求めて奈良に旅行した利節は、古い画友である赤井芳枝と奈良ホテルで偶然めぐり合った。これが縁で二人は結婚することになる。赤井芳枝は九大で英文学を講じている英文学者の娘である。昭和四年に女子美に入学している。「私達結婚しました」と簡単に書いた写真が送られてきたのは、それから間もなくであった。昭和十七年の初めごろ、アトリエを訪れると、ちょうど赤い塔の描き最中。片手に絵はがきを持って筆を運んでいた。「絵描きが絵はがきを見て描くのかね」と、彼は「五重塔の風景を描くのなら写真の方がまったく正確だが俺は五重塔を描いている」。「絵を描いている。松林を小さくすれば五重塔は大きくなるだろう。一番下の屋根を見ろ、俺のは真直だ。これが絵だよ。」
二見が思索に思索を重ねて得た「在る。在らす」論これを表現するための五重塔であったか、また仏教の真髄を描き表し得かどうか。この塔はみごと入選したのである。
終戦後昭和三十年ごろであったか利節から電話があって「薬師寺の塔が焼けずに残っていた。今日画商から連絡があって明日の競売にかかる。もし七十万円以下なら買い取っておく」とのこと、彼は「よく生きていてくれた」と我が子の姿を思い出しているように思えた。この絵も八十万円かで収集家の手に落札したようである。
※「二宮町近代史話」(昭和60年11月刊行)より引用
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