二宮ゆかりの画家 連載第19回 二見利節(としとき)・その生涯
甘露梅
昭和五十一年の一月だったと思う。利節を見舞った。左の手は肘が曲がったきりでかなりはれ上がっていた。だいぶ痛みがあるようだった。それでもなかなか元気で、同じ部屋の人には人気があるらしく、皆よく面倒をみてくれていた。
一本のひもがベッドの足元のほうから手元のほうに延びていた。「これは何か」と尋ねると、右手にひもを持ってやおらベッドの上に起き上がった。「これがあると起き上がるに楽だよ」と。同室の人がお茶を入れてきてくれた。枕元にスルメが転がっている。「こんなもの食べてていいのか」というと「だれかが持って来た」……しばらくして、「ああそうそう」といって小さな箱を取り出した。「これを食べないか」。中に甘露梅が入っていた。小田原の甘露梅かというと「水戸のだよ」との答え。
利節の話では、日動画廊では四十歳以下の若手の画家の優秀な人を見いだして、フランスに留学させ画家の養成を図っている。その選考委員に彼がたっているのだという。そしてこの度選ばれた人が学校の教員をしている若い水戸の女性で、今朝見舞いかたがたあいさつに来たのだった。甘露梅は彼女の持参品だった。
(つづく)
※「二宮町近代史話」(昭和60年11月刊行)より引用
二宮町にアトリエを構えた洋画家二見利節(1911〜1976年)の生涯を紹介しています。
|
|
|
|
|
|
3月29日