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連載 第4回 八重と蘇峰 徳富蘇峰記念館学芸員 塩崎信彦

公開:2013年11月29日

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昭和27年10月、徳富蘇峰90歳(熱海・晩晴草堂の書斎にて)
昭和27年10月、徳富蘇峰90歳(熱海・晩晴草堂の書斎にて)

蘇峰生誕150年目の活躍

 2番目の夫・新島襄を大磯で亡くした45歳の八重は、天寿を全うするまでの41年間を独り京都で過ごしました。大河ドラマの会津編と京都編に続く八重第3の人生、つまり襄亡き後の従軍看護婦人としての功績や、茶道界での活躍がどう描かれるかにも注目です。

 一方、新島信者を自認する徳富蘇峰は、「同志社を英学校から大学に」という新島襄の遺志を継いで奔走し、襄の死から30年後の大正9年、ようやく同志社の大学昇格が成就します。

 さて、新聞でも大きく取り上げられご存知の方も多いと思いますが、今年の1月に当館の収蔵庫より新島八重直筆の「和歌」が見つかりました。晩年の八重が久しぶりの帰省(会津若松)に際し詠んだ歌で、ふるさと会津に対する深い想いや郷愁が表されています。この晩年の和歌に、激動の世を生き抜いた、ひとりの女性としての八重を見る思いがします。

 この帰省から2年後の昭和7年、京都の自宅で八重はひっそりと息を引き取ります(享年86)。お墓は同志社墓地にある新島襄の墓石の横に置かれ、その墓碑銘は八重の遺言通り、蘇峰によって揮毫(きごう)されました。襄と八重が共に眠るこの若王子(にゃくおうじ)山頂には、今も多くの人がお参りに訪れるとのことです。

 徳富蘇峰”生誕150年”の今年、蘇峰は見事”大活躍”を見せました。蘇峰の業績を研究顕彰する私どもにとって、戦後から今日まで、忘却の淵に沈んで久しいジャーナリスト・徳富蘇峰の復活ほど喜ばしいことはありません。「国民之友」と「国民新聞」を創刊し、『近世日本国民史100巻』を刊行、そして全集ができないほど多くの著作を記した蘇峰への興味が来年以降も続き、発展することを願って止みません。

 このシリーズは今回で終了します。
 

新島八重の墓
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