絵はがき「大磯スケッチ第1集」を出した 石井 行さん 藤沢市在住 68歳
どっしり柔軟な心で創作
○…「軽いタッチにしようか、しっかり描き込むのがいいか。場所や構図を考える時間は長いけれど、決まってしまえば完成までは速い」。駅舎が特徴的な大磯駅や鴫立庵、こゆるぎの浜などをペンと水彩で描いた絵はがき「大磯スケッチ第1集」を出した。大磯は職場として長年通った地。大磯中学校と国府中学校で美術教諭を務めた。創作活動とともに画廊や百貨店などで作品発表をしている。
○…意外にも子どもの頃は絵が嫌いだったという。小学1、2年生の頃。図画工作の時間で運動会や遠足の絵を描きましょうと言われても細かいことが頭に浮かび、どう描いたらいいのか分からなかった。「画用紙が真っ白で恥ずかしかった。他の教科はよく出来たのに」と笑って振り返る。
○…近所の絵画塾に入り、2番目に出会った師に鍛えられた。他の生徒より早く行き、教室を雑巾がけ。終わってまた掃除。庭木の手入れや暮れの障子張りもした。「まるで修業中の内弟子。明治生まれのすごく厳しい先生でしたが、可愛がってもらいました」。中学ではバレーボールに打ち込み、県大会優勝。高校で三段跳びの選手として活躍する間も絵は描き続けた。
○…多摩美術大学卒業後、教職の道へ。生徒の自主性に任せながら、文化祭の演劇では中学生と一緒に舞台に立った。授業なしで5日間、放課後遅くまで準備にかかる生徒の姿や、あんパンを差し入れて食べた思い出がよみがえるという。「生徒も教師もエネルギッシュだったね」。親子2代で指導した教え子も多い。
○…1995年発行の神奈川県版年賀はがきに横浜を描いた風景画が採用された。翌年も原画を制作。郵便局に勤める中学の同級生の勧めがきっかけで「声を掛けてくれたことが嬉しかった」と人の縁に感謝する。教員生活を始めた時の校長が年賀状に書いてくれた「継続は力なり」と、絵の師匠に教わった「得意淡然、失意泰然」を心に刻む。
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