詩集『若菜集』や小説『破戒』などの名作を残した近代文学を代表する作家で、晩年を大磯町で暮らした島崎藤村を偲ぶ「藤村忌」が、命日の22日に町内の地福寺で開かれた。文学愛好家など70人以上が参列し、明治から大正、昭和期を生きた藤村が眠る墓に供養の献花を行った。
藤村忌は1989年から大磯町観光協会が主催しており、毎年多くの藤村ファンらが参列して町ゆかりの文豪を偲んでいる。
櫻井智定住職が藤村の冥福を祈って回向すると、中崎久雄大磯町長や関威國大磯町議会議長、一般参列者らが墓前に献花と献香をして手を合わせた。櫻井住職は「これだけ多くの方が花を手向けてくれ、藤村さんもさぞかし喜んでいると思います」とあいさつした。同協会の大倉祥子会長は「激動の時代を生きた藤村先生は、最後に大磯の地を選んでくださった。これからも大磯の町民として、藤村先生のお墓を守り続けていきたい」と述べた。
昭和16年に大磯の左義長を見物した島崎藤村は、温暖な気候を気に入り町内の簡素な平屋建てに移り住んだ。2年後の8月、小説『東方の門』を執筆中に脳溢血で倒れ、「涼しい風だね」の言葉を残して71年の生涯を閉じた。
藤村の墓は生前に愛した境内の梅の木を眺めるように、一回り小さな静子夫人の墓と並んで立っている。町は藤村の功績を称え、1975年に名誉町民の称号を授与した。
藤沢市から参列した高校1年生の成田明香里さん(15)は「中学生のとき、近代文学を勉強するなかで藤村の作品と出会った。『若菜集』が好きで、文章に藤村の生き方が表れているように感じます」と話していた。
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