日本国憲法の制定過程から学ぶ
大磯に住んでいた古河市兵衛と陸奥宗光
〈寄稿〉文/小川光夫 No.77
かつて大磯の1号線沿いの松並木沿いに旧古河市兵衛邸とその隣裏に旧陸奥宗光邸があった。三井の益田孝が大蔵次官井上馨の支援を受けて三井物産を立ち上げたこ...(続きを読む)
日本国憲法の制定過程から学ぶ
〈寄稿〉文/小川光夫 No.77
かつて大磯の1号線沿いの松並木沿いに旧古河市兵衛邸とその隣裏に旧陸奥宗光邸があった。三井の益田孝が大蔵次官井上馨の支援を受けて三井物産を立ち上げたこ...(続きを読む)
日本国憲法の制定過程から学ぶ
〈寄稿〉文/小川光夫 No.75
前回は澤田美喜について紹介したが、今回は旧三菱財閥の創設者岩崎弥太郎について触れながら三菱財閥の形成や美喜の父親でもある岩崎久弥について紹介すること...(続きを読む)
日本国憲法の制定過程から学ぶ
〈寄稿〉文/小川光夫 No.74
ある日、美喜が電車に乗って出掛けていたところ、自分が座っていた席の上の網棚から紫の風呂敷包が自分の膝に落ちてきた。彼女は慌ててその包みを元の網棚に戻...(続きを読む)
日本国憲法の制定過程から学ぶ
〈寄稿〉文/小川光夫 No.72
当初、総司令部が第一生命ビルの6階で憲法草案を作成していたときには、民政局の人権条項を担当していたロウストやベアテ・シロタ達は現在の憲法第14条の二...(続きを読む)
日本国憲法の制定過程から学ぶ
〈寄稿〉文/小川光夫 No.71
現在の国会は「ねじれ国会」といわれている。この言葉は、2007年の参議院選挙で自民党が大敗したときにマスコミが使用したことから始まる。その選挙で参議...(続きを読む)
日本国憲法の制定過程から学ぶ
〈寄稿〉文/小川光夫 No.70
北議員の質疑は国会の審議の在り方について示唆を与えるものである。帝国憲法改正案第4章の「国会」については、北議員は、「國會は、國權の最高機關であって...(続きを読む)
日本国憲法の制定過程から学ぶ
〈寄稿〉文/小川光夫 No.69
昭和21年(1946年)5月16日、第90回帝国議会が召集された。開会にあたり、内閣は憲法専任国務大臣として、法制局長官などの経験がある金森徳次郎を...(続きを読む)
日本国憲法の制定過程から学ぶ
〈寄稿〉文/小川光夫 No.68
吉田茂が出筆した『大磯随想』という本の最初の一部を掲げてみた。久し振りにこれを読んで見ると、吉田茂が外交官・政治家として生きた時代と現代社会を比較し...(続きを読む)
日本国憲法の制定過程から学ぶ
〈寄稿〉文/小川光夫 No.64
64 「the people」を国民と翻訳した政府 前回は、日本政府が「国会」を何故「国民議会」としなかったことについて述べた...(続きを読む)
日本国憲法の制定過程から学ぶ
〈寄稿〉文/小川光夫 No.62
1946年5月14日、吉田茂は自由党総裁の就任を受諾した。組閣に取り掛かった吉田は、「政治家達は戦時中には軍部の独裁に屈してきたし、政策的な能力もな...(続きを読む)
日本国憲法の制定過程から学ぶ
〈寄稿〉文/小川光夫 No.61
旧吉田邸の玄関に入ると応接室として使用された洋間があり、その奥の壁に向って外国要人との記念写真がガラスケースに立て掛けてあった。その中にジョン・フォ...(続きを読む)
日本国憲法の制定過程から学ぶ
〈寄稿〉文/小川光夫 No.60
吉田茂像は大磯だけではない。東京や高知県にもある。東京の銅像は千代田区内にあるが、時間的には電車で大磯駅から約1時間30分で着くところにある。東海道...(続きを読む)
日本国憲法の制定過程から学ぶ
〈寄稿〉文/小川光夫 No.55
4月10日、第一回衆議院選挙が行われた。その結果、自由党140名、進歩党93名、社会党92名、協同党14名、共産党5名、諸派38名、無所属80名が当...(続きを読む)