市内に息づく宮大工の技
神社や寺、神輿を造り修復する宮大工。釘などを一切使わずに様々なものを造り上げる匠の技術を持つ。現在全国的に高齢化が進み数は相当少ないという。
その宮大工が小田原市内にも存在している。板橋在住、稲木盛一さんだ。江戸末期の小田原藩の城大工で、香川文造高行の流れを汲む藤原流の8代目。代々宮大工の血筋だという。高校を卒業してからそのまま家業を継ぎ、宮大工の世界に。「長男だったから仕方ねぇよ」と笑う。
現在81歳。現役とまではいかないが「仕事が入ればやるよ」と稲木さん。さすが職人というべきか急勾配の階段をひょいひょいと登っていく。「職人は体が資本だからね」と体調管理も万全だ。
今まで数々の作品を手掛けてきた。都内から依頼が来るのもざらだったという。父親と一緒にしてきた仕事の中で記憶にあるだけでも市内の神輿は何十基と手掛けた。松原神社の氏子、代官町の神輿も稲木さんが一から作り上げた作品だ。
作品を造る度に、参考のため寺社を見に行くなど、試行錯誤を繰り返す。自宅からは、埃をかぶっているが使い込まれた書物が山ほど出てきた。造り上げる過程で図面が一番重要なのだとか。写真の神輿も図面の作成には時間を掛けたが、いざ手を着けてからは4カ月程度で造り上げたという。この神輿は、自宅の前に道祖神があった縁で作成に取り掛かったもの。現在、居神神社の例大祭や夏のちょうちん祭りに参加している。「この間結婚したばかりの孫の結婚式でも担いだんだ」と得意気に稲木さんは話してくれた。
若くして息子さんを亡くし、お孫さんと暮らす現在。家業を継ぐ跡取りはいない。「しょうがねぇんだよ」と呟いた稲木さんの顔はどことなく寂しそうだった。