「甲子園に出たい」。中学時代に夢を抱き、その一心で全国優勝5回を誇る名門・横浜高校に進学した。だが、県内外からトップクラスの選手が集まる環境の中で最初は練習にすら参加させてもらえない日々。「すごい所に来てしまったな」とチームの裏方としてただ毎日を過ごしていた。
しかし、全体練習後の居残り練習にすべてをかけ、一心不乱にバットを振った。「毎日、帰宅時間は日付が変わっていました。生き残るために必死でした」
チャンスは2年秋の県大会でやってきた。入学以来、初めて背番号22番をもらいベンチ入り。県大会を制して関東大会へ駒を進めるもベンチ入りを逃し、麻生さんはブルペン捕手としてレギュラーのサポート役に徹した。そして翌春、県代表として選抜大会への出場が決定。ついに悲願の甲子園切符を掴むも「自分はメンバー入りできないだろう」と諦めかけたが、数日後のメンバー発表で渡辺元智監督から名前が呼ばれた。「真面目に努力してきた結果だ」と監督にかけられた言葉は人生の糧になっている。
「常に(メンバー入りの)当落線上だったので、どう喜んでいいのかわからなかった」と控えめに振り返る。夢だった甲子園の土を踏むも打席に立つ機会こそなかったが、全国制覇を果たした。「今の自分があるのはこの時のおかげ。監督、選手たちには絶対に甲子園に出場してほしい」。今夏で勇退する恩師が迎える最後の夏を全力で応援するつもりだ。