五輪イヤーの2016年、小田原からオリンピック選手が誕生するかもしれない。
陸上400mハードルの松下祐樹さん(24・チームミズノアスレティック)。昨夏の世界陸上に出場し、日本人唯一の準決勝進出を果たした。小田原出身でこれまでに五輪に出場したのは、メルボルン大会(1956年)のサッカー・内野正雄さんらがいるが、個人種目ではいない。
市内初の快挙へ、松下さんがリオデジャネイロ五輪への想いを語ってくれた。
「五輪でファイナリストに」選考は6月の日本選手権後
昨年8月、世界陸上が行われた北京で、松下さんが輝きを放った。
予選を突破した松下さんは、「(世界は)意外と通用するところだと感じた」という。しかし、準決勝直前は「心身ともにベスト」だったにも関わらず、レースでは「自分の体が自分のものじゃないようだった。会場の雰囲気も高まる準決勝で、見えない何かに負けてしまったのかもしれない」。手応えと課題を掴んだ人生初の世界大会だった。
世界を視野に捉えた松下さん。彼ほど競技や種目を変えながら、世界の舞台まで登りつめた選手は珍しいかもしれない。
ソフトボールに勤しんだ小学生時代は、国府津イーグルスで投手などを務めて県大会を制した。当時から脚は速く、盗塁すればほぼ成功していたという。中学入学時に野球部の体験入部に行ったが、かねてからの「チームスポーツより個人の方が向いている」という思いを強く抱き、断念。その帰りに陸上部で練習する友人に誘われたことが、その後の人生を大きく変えた。
持ち前の集中力で頭角を現し、3年時に走高跳と110mハードルで全国大会出場を果たした。進学先は、コーチとして実績のある室橋富美夫教諭を慕い、決して陸上強豪校とはいえない小田原高校を選んだ。中学時代、成績は真ん中ぐらいだった松下さんは、受験直前の3カ月間、猛勉強。スポーツで発揮する集中力を学業にも活かし、多い日には1日13時間も机に向かった。「その甲斐あって、高校では陸上人生で最も大きな分岐点を迎えることができた」
高校では八種競技を主戦場にし、3年夏のインターハイで全国の頂点に立った。「適正を見抜いて混成競技を進めてくれた先生のおかげ」。順天堂大学へ進むと、大学4年時には十種競技で全日本インカレを制覇した。ただ、「このままでは世界と戦えない」と混成競技に見切りをつけ、十種競技の中で得意にしていた400mとハードルを合わせた400mハードル1本に絞った。
世界を感じ意識改革
そして社会人2年目の昨年、才能が開花した。6月の日本選手権で優勝。8月には自己ベスト(49秒14)を記録し、世界陸上に挑んだ。「通用した部分もあるけれど、トップになるにはまだまだ力が足りない」と話し、練習での意識改革を行った。
練習でタイムを測る際、これまでは体調や天候が悪いと、結果が出なくても「仕方ない」。心のどこかに逃げ場をつくっていた。しかし今では「常にタイムを意識するようになった。1本に集中、1本も無駄にしない。練習のパフォーマンスをあげることが試合につながるから」。トップが集うナショナルトレーニングセンター(東京)を拠点に、さらなる高みを目指す。
8月のリオ五輪出場は、6月の日本選手権後に決まる。それまでに参加標準記録突破が必要となる。「五輪に出て、目標はファイナリスト(決勝進出)。世界陸上のときに地元の人々に応援してもらい大きな力になった。自分が活躍することで街が盛り上がればうれしい」。小田原から世界へ飛び立ち、世界から小田原に元気を届けるつもりだ。
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