3月11日。福島を訪れて、この日だけが特別なのではないのだと知った。原発からの避難が始まった日、避難後初めて我が家に帰れた日、新たな出発の日―。震災からの5年を振り返る。
(菅原 裕)
福島県相馬市。さらに、相馬から国道6号線で1時間弱の南相馬市に何度も通い、まちの変化を見つめ続けてきた。
相馬市と小田原市は防災協定を結んでおり、早い段階から復興に向けた支援が行われてきた。季節を感じるクリスマスツリー、小田原の木材を使った仮設店舗の内装や、テーブル・看板等の寄贈品は、5年経ったいま、現地に馴染み、大切に使われている。
相馬で水産加工業を営む高橋永真さん(56)は、震災直後から日用品をリヤカーに積み仮設住宅を回るなど、自力で生活再建に向かってきた。この春、助成金を受けて宮城県名取市閖上に加工場を構える。まもなく完成する新たな出発点を、心待ちにしている。
南相馬市小高区。NPO法人浮船の里の久米静香さん(63)は、かつて盛んだった養蚕業の復活に取組む。知り合って約3年。毎年少しずつ育てる蚕の数を増やしながら、まもなく避難指示が解除される予定のふるさとでの生活を取り戻そうとしている。
久米さんの案内で隣の浪江町に初めて入ったのは、13年12月。まちは「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」に分かれ、早いところでは17年3月から避難指示が解除される見通しだ。
「あの日から5年」を間近に控えた2月28日、浪江を訪れた。初めて来たとき目に焼き付いた、駅前の新聞販売店=写真上。ガラス張りの店内には2011年3月14日付の配られなかった新聞が山積みになっていた=同下左。1年ぶりに訪れると、新聞はネットにひとまとめになっていた。知らぬ間に、”動いた”時間があったことを知った。だが、まちは相変わらず沈黙を守ったままだ。
3月13日、「あの日から5年」を終えた小高は曇天に包まれていた。まちのあちこちにいたメディアの姿はどこにもなく、久米さんや駅前の双葉屋旅館の女将、小林友子さん(63)は「静かになったなぁ」と笑顔をみせた。”普通の暮らしに戻ること”。二人の願いは出逢った頃から変わらない。
久米さんと、まちを望む小高神社の前の川沿いを歩きながら、そこまで来ている春の話をした。枝の剪定をしたので、今年は桜がきれいに咲きそうだ、とうれしそうに話す久米さんは穏やかそのものだった。古いベンチを新しくしたい、雑草に覆われた中洲の公園を復活させたい―。初めて具体的な「普通」の希望を聞いた気がする。そしてそれを実現する方法で、帰り道は頭がいっぱいになったことが、しあわせだった。
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