天守閣の改修記念事業として公募していた小田原城での挙式が、土谷浩人さん・舞花さん(ともに23)=写真=に決まった。天守閣で2組目となる挙式は、6月18日(土)。
舞花さんの懐妊を機に昨年10月に結婚した二人。生まれてくる我が子に苦労をかけまいと貯金を優先し、結婚式は断念した。今は4月に誕生した莉花(りんか)ちゃんとの生活を「涙ぐむほど幸せ」という舞花さんだが、双子の妹が1月に式を挙げており「やっぱり羨ましかった」。そんな心の片隅にあった結婚式への憧れを知ってか知らずか、母の強い勧めもあって今回の応募に至った。
結婚前も度々デートで出かけた地元が誇る名所での式に、「当選を知って私より先に泣いたのは母。親孝行できてうれしい」と舞花さん。浩人さんは「城なので和装で挙げる予定。見る人にも楽しんでもらえたら」とアイデアを練っている。
天守閣挙式第1号52年前の結婚式
几帳面に綴じられたアルバムを開くや、52年前の思い出が鮮やかに、そして洪水のように溢れ出してきた。中村泰雄さん(80)・貴美子さん(73)夫妻。現在、横浜市金沢区で暮らす二人は52年前、小田原城天守閣で結婚式を執り行った、初めてのカップルだ。
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1964(昭和39)年夏。世田谷区に住んでいた泰雄さんは、社員旅行で訪れた伊東の旅館で働いていた貴美子さんと出会い、恋に落ちる。離れて暮らす二人のデートは熱海や湯河原、小田原が多かった。秋も深まるころ、電車のホームで別れを惜しむ二人の目に、小田原城が映った。「あそこで結婚式を挙げられたらいいね」。それが泰雄さんのプロポーズだった。
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「なんでも一人で決めちゃう人なのよ」と貴美子さんが笑う隣で、「歴史が好きだったのでね。人と違うこと、特別なことをしてみたいという気持ちもあったかな」。泰雄さんは、当時の心境をそう振り返る。
果たして城での結婚式は可能なのか。同年11月30日、挙式の可否を尋ねるべく、泰雄さんは小田原市役所の観光課を訪れた。そこで城内の管理事務所を紹介され、応対した女性職員に主旨を告げると、前代未聞の申し出に、「それは驚いた様子でした」(泰雄さん)。三廻部所長に取り次いでくれたが、「私事での利用は難しい」という返事。だが泰雄さんは「粘ったね」と、当時を思い出して相好を崩す。”上に掛け合う”という返事から数日、許可がおり”正式に申込みを”との回答が。泰雄さんは、「(小田原は)歴史の由緒も深く、かつ風光明媚であり(中略)ひときわ高くそびゆる小田原城を選びたいと思いました。(中略)私達の愛はそのまゝ小田原城を愛する気持ちになることは間違いありません…」としたためた趣意書を提出。12月9日、「市長が市議会に計り満場一致で可決し」天守閣の使用許可が下りた。
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式の日取りは泰雄さんの29歳の誕生日、12月22日に決まった。花嫁の支度は、お堀端通りの角にあった美容院「しおさか」の塩坂澄子さんが担当。介添えを希望した塩坂さんが貴美子さんの手を取り、通りを歩く姿がアルバムに残っている。
午前11時、羽織袴と花嫁衣裳に身を包んだ新郎新婦は、所長の先導で城内へ。両家の親族や友人に加え、鈴木十郎市長や曾我尚夫助役ら27人が参列し、二人の門出を見守った。挙式の様子は、現在も国道1号線沿いにスタジオを構える「五十嵐写真館」の五十嵐登さんが記録したと思われる。晴れて夫婦となった泰雄さんと貴美子さんが天守閣の展望デッキに揃って立つ1枚は、登さんの指示によるものだったと泰雄さんは記憶している。
約1時間の式を終え、お堀端通りの「松琴楼」へ。式に続き泰雄さんの同僚が司会を務め、披露宴が行われた。二人は途中で退席し、ベンツに乗り込み箱根の山のホテルへ送ってもらった。
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あの日からもうすぐ52年。挙式から1年後に、長男を連れて2年後にと、中村さん夫妻は幾度も小田原城を訪れた。一昨年、結婚50年を機に、当時の写真とともに、小田原城や五十嵐写真館など思い出の場所を訪ねたいと考えていた矢先、泰雄さんが脳梗塞で倒れた。長時間の外出は体に障るが、「また小田原城に行きたいなぁ」。二人のまぶたの裏には、今もしっかりと小田原城が刻まれている。
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