小田原出身の作家で、大正から昭和初期にかけて活躍した牧野信一の生誕120年記念の特別展が小田原文学館で始まった。主催は小田原市立図書館で、会期は12月4日(日)まで。
生誕100年に次いで企画された今回の特別展は、初公開の直筆原稿を中心に展示。年代順に4部構成となっており、牧野が作家を志したきっかけや、作風の変遷をたどることができる。
生前にそれほど高い評価を受けなかった牧野だが、「編集主幹を務めた雑誌には井伏鱒二や坂口安吾ら後に大成した若手作家が名を連ねるなど、他者の才能を見出す能力に長けていた」という市立図書館の鳥居紗也子さん。展示物からも、牧野が多くの著名作家と親交が深かった様子がうかがえる。開館は午前9時〜午後5時(最終入館4時30分)。(問)【電話】0465・24・1055
ギリシャ古典の影響
牧野は1896年(明治29年)小田原生まれ。小中学生の頃は、「あらゆる学科の中で作文が苦手」だった一方、幼少から習っていた英会話が得意で、県立第二中学校(現・小田原高校)時代には教師の発案で、文章を英語で組み立ててから和訳していたとのエピソードもある。
その後、進学した早稲田大学で、高校からの友人だった鈴木十郎(後の小田原市長)の勧めで執筆活動を開始。作文が不得手だった牧野を知る周囲は驚いたというが、卒業後は新聞社で働きながら小説や童話を雑誌に発表し続けた。そして1919年、同人誌に掲載した『爪』が島崎藤村に絶賛され、本格的な文壇デビューを果たす。
3年前の大学入試センター試験に採用された『地球儀』(1923年)など、当初は父を題材にした私小説が多かった牧野作品。しかし父の急死後、ギリシャやローマの古典の影響を受け、幻想的な作風に移行。1931年発表の代表作『ゼーロン』は、小田原やその周辺がモデルと考えられるが、あたかもギリシャが舞台のような錯覚を抱かせる神話的な物語だ。
夫人との不仲などもあり、その翌年から神経衰弱の兆候が現れ始めると、都内に住む家族と離れて小田原へ帰郷。見かねた鈴木十郎が新聞の連載小説を提案し、『サクラの花びら』の執筆を始めるが、1936年に未完のまま自殺、39歳の生涯を閉じた。
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