20周年を迎えた小田原良寛会の会長を務める 齋藤 雄致(たけし)さん 南町在住 78歳
志、あったからこそ
○…江戸時代、新潟県の国上山(くがみやま)の山奥で寺を持たず、生活は質素を極め日々托鉢で暮らした僧侶・良寛。病があれば薬を乞い、食がなければ庄屋に米を乞うては困っている人に与えた―。「思いやり以外の何物でもない。裏表のない僧侶」という良寛を畏敬の念を込めて「遠い人」というが、”様”はつけない。「となりにいる人。それが良寛さん」。
○…小田原生まれの青年は、日産車体に勤務し、社員4000人が読む社内報の編集に携わる。当時は経団連の肝いりで社内報の一大ブーム。一流企業の広報マンが赤坂のホテルに集められ「週刊誌の鬼」の異名を持つ扇谷正造や、世界をまわる写真家から記事の書き方、レイアウトの指南を受けた。これに参加したとき従軍写真家を志したが、「その志があれば、将来必ず活躍する場がある」と諭された。以来、すっかり報道に魅せられてしまった「田舎の純情青年」は、志をもったまま、つばめや写真店を始めた。
○…「志があれば」―。この言葉を胸に生き、30代半ば、旅の途中の新潟でその答えに出会う。良寛が晩年を過ごした国上山を訪れたとき、「日本人にこんな人がいたのか」と感銘を受けたと同時に「これだ」と過去の一点がつながった。友人の協力を得ながら小田原良寛会を20年前に立ち上げ、良寛の教えや功績をより多くの人に伝えるため、取材、研究を続けている。
○…たった一人の中学生の孫との電話では、良きにつけ、悪きにつけても「全部受け入れる」。ここに良寛の姿を見た。きっと良寛も人の話に真摯に耳を傾け、背中を押したり、手を差し伸べたりしてきたのだろう。子どもの頃の夢は絵描き。今、隔世の時を経て良寛という人を、その教えを伝える絵を描く。「知れば知るほど、俺もそうなんなきゃって。残りの人生一生懸命生きるよ」。人を完全に理解することなどできないが、追い求める中で、良寛になっていく。
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