神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS

終戦の日に合わせて記念誌を発行した 櫻井光夫さん 真鶴町岩在住 86歳

公開:2012年8月24日

  • X
  • LINE
  • hatena

伝えたい人間魚雷の記憶

 ○…30年前に熱海で小型潜水艦のような「人間魚雷」が引き揚げられた事がある。戦時中本土決戦が色濃くなり、乗組員もろとも敵艦に体当たりするために開発された通称「マルロク」。18歳の時に軍の命令で配属が決まったのが、このマルロクによる特攻部隊だった。「隊員は60人。上官から訓示があってね、祖国のために死んでくれと。運命かと思ったけど、内心は死にたくない、親の顔が見たいと思ったよ」。その日から魚雷のプロペラを点検する日が続いたが一向に出撃命令はなく、18日後、なぜか自分を含む6人だけに異動の命令が出た。残った同志の消息は今もわからない。

 ○…旧岩小学校で学んでいたころ、村でラジオを持つ家はわずか3軒だった。「双葉山69連勝」の興奮を伝える四角い機械に魅かれ、卒業後も電気工作関連の道へと進む。特攻部隊からの異動先はレーダーなど電波兵器の開発する「第二海軍技術廠電波兵器部」。ここでは密かにアメリカが発信する短波放送の声が聞き取れたという。「ポツダム宣言受諾は前日に知っていた。知人にそれを告げたら、逆上しちゃって、私は非国民扱いされたよ」。翌15日の玉音放送の夜、灯火管制が解除。「あの平和な夜景は今も忘れられない」と眼差しを遠くへやった。

 ○…終戦後、労働組合の幹部として活動に没頭。昭和30年代に飛行機で世界をまわり、視野を広げた。真鶴町議も20年務め、町の昭和史を全身にしみ込ませているかのよう。議員引退後、戦争体験を伝えようと本を出し、さらに郷土の歴史を掘り下げようと研究会を立ち上げた。順風だけではない。15年前に前立腺がん、10年前に心臓不整脈、そしてがん再発に立ち向かい、それぞれ克服。「もうだめだと思ったが、多分生かされているんだろうな」。終戦記念日に合わせて刷った記念誌には人間魚雷などの記憶がびっしり。悲しい戦史に重なる青春に、今も突き動かされている。
 

箱根・湯河原・真鶴版の人物風土記最新6

前野 和子さん

手製の布ぞうりが中米コスタリカの大使館内に展示された

前野 和子さん

真鶴町岩在住 77歳

4月19日号

DJ MIDORIさん

エフエム熱海湯河原 開局20周年イベントに出演した

DJ MIDORIさん

湯河原町在住 27歳

3月22日号

梅原 雄蔵さん

被災地ボランティアとして東北に通う

梅原 雄蔵さん

湯河原町土肥在住 71歳

3月8日号

吉田 幸恵さん

箱根温泉おかみの会会長を務める

吉田 幸恵さん

箱根町湯本在住 61歳

2月22日号

後藤和彦さん

湯河原みかんグルメ&スイーツサミットV2の「オレンジメンチ」を考案した

後藤和彦さん

湯河原町土肥在住 50歳

2月8日号

守屋 セイさん

足柄下郡3町唯一の助産院で院長を務めていた

守屋 セイさん

湯河原町門川在住 91歳

1月25日号

あっとほーむデスク

  • 5月1日0:00更新

  • 4月19日0:00更新

  • 1月25日0:00更新

箱根・湯河原・真鶴版のあっとほーむデスク一覧へ

バックナンバー最新号:2019年5月1日号

お問い合わせ

外部リンク