父 山田耕筰、箱根での横顔 次女の日沙さん「きのくにや」で語る
瀧廉太郎の「箱根八里」や「荒城の月」を編曲し伴奏をつけた山田耕筰(1886―1965)の次女、日沙さん(87)が4月11日、箱根・芦之湯の旅館「きのくにや」を訪れた。
一家は1926年から32年まで茅ヶ崎市に住んでおり、耕筰は単身でたびたび箱根を訪れていた。日沙さんは政治史研究家の竹村忠孝さんの紹介で、耕筰が滞在していた同旅館を訪問。川辺ハルト代表取締役社長らとともに「父」山田耕筰の記憶をたどった。
日沙さんは現在、山口県下関市で修道女として暮らしている。
親子で二子山に登りました
当時は6、7歳で記憶が定かでなかったが、川辺さんの案内で客室に入ると、出窓に近寄り懐かしそうに腰をかけた。足を前後に動かしながら「そうそう、この出窓で足をぶらぶらした記憶があるわ」と笑顔を浮かべた。また日沙さんが湯船を覗いてお湯に落ちたという風呂にも案内され、当時の記憶を甦らせた。「芦之湯滞在中の思い出と言えば、父と一緒に旅館の向かいにある二子山に登ったこと」と話す日沙さん。「下るときは足を斜めにして着地するといいんだよ、と教えてくれました」と懐かしそうに振り返る。酒が強く、どんなに飲んでも乱れることはなく、上機嫌になると饒舌になる一面もあったそうだ。
幼少時以降も何度か箱根を訪れている日沙さんだが、きのくにやに足を運んだのは約80年ぶりだという。館主の川辺さんは「貴重な話が聞けた。機会があれば宿帳を調べてみたい」と来訪を喜んだ。今回の来訪を機に、昭和23年に制定された箱根中学(当時)の校歌を山田耕筰が作曲したことも確認された。
竹村さんは「山田耕筰が芦之湯を訪れていたこと、校歌の作曲をするなど、箱根と深いつながりを持っていたことが確認できた。大変意義のある訪問だと思う」と興奮を隠せない様子だった。