箱根の情景を織り交ぜた詩集「花の道」を刊行した 戸上 寛子さん 箱根町強羅在住 78歳
記憶の母を なで続ける
○…箱根に住んで半世紀。美しい郷土の情景をちりばめた詩集を完成させた。40を超える詩編の冒頭に収めたのは19年前に亡くなった母・金子さんとの思い出。亡くなる直前、83歳だった母には、母だけが聞こえる声があったらしい。ある時は「誰かが呼んでいる」「どこにいるの」とカバンにお菓子を詰め込んで出かけたり、ある日は聴いた事もない歌を口ずさんだ。かつての気丈さとは異なる無邪気な姿。言葉でスケッチするようにうつし取り、箱根の自然の情景に溶かした。
○…山梨県甲州市生まれ。詩作のきっかけは中学校の頃にさかのぼる。「先生が日本の名文学を朗読してくれる方で、あの声が私の肥やしになったのかも」。高校に上がって創作の芽が顔を出し、学内誌に詩を発表するようになった。高校卒業後、電話交換手の資格を取り就職することになったのが宮ノ下の奈良屋旅館。「初めて訪れた箱根は今より緑が深かった。山奥に入るバスの窓からどこに連れて行かれるのかハラハラしたりね」。森に包まれた名門旅館には小さな東京があった。時の岸信介首相を始め財界人や芸能人などが逗留、館内には彼らを追う新聞記者や芸妓、豪華な料理が行き交った。目線を遠くにやり、セピア色の宮ノ下をたぐりよせる。
○…日本詩人クラブ会員で、箱根駅伝ミュージアムに掲げられている「箱根駅伝讃歌〜青春の襷」の作詞(2006年)や、箱根町民歌「和む光の」作詞(1976年)、二ノ平保育園(閉園)の園歌も手掛けた。昼間は家業のクリーニング店を手伝いながら創作に励む。一番の楽しみは中学生の孫との旅行と、孫の運動会に顔を出すこと。詩作は決して楽しいものではない、と取り出した原稿には幾つもの推敲の跡が。「『母』は私にとって永遠のテーマ。若い人にも共感してもらえるはず」。刊行した4月19日は母の命日。生みの苦しみを撫でるように分厚い用紙をめくった。
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