100周年を迎える箱根の強羅公園で長年植物の世話を続ける 露木 克三さん 秦野市在住 57歳
情熱そそぎ花咲かす
○…大正3年の創設から100周年の大きな節目を迎える庭園で働き続け約30年。「10年ほど前にガラス体験工房がオープンしてから若者の来園が増えた」と振り返る。今年は新たな工作堂も完成し、魅力がまたひとつ加わった。植物の変化ついて聞くと、園内にそびえるヒマラヤスギについて語り始めた。人差し指の先を見せ「大木ほど成長は見た目では分からない。何年経っても年輪が太くなるのはこれ位」とつぶやいた。
○…丹沢のふもと、秦野の農家に生まれ育つ。かつて「日本三大名葉」と謳われた秦野たばこの栽培を一家で手がけた。まぶたを閉じれば乾燥室に立つ父の姿が浮かぶ。高校は吉田島農林(当時)に進学。「たまたま入っただけです。授業には乗り気じゃなかった」。言葉とは裏腹に学生時代は一年以上かけてシクラメンを育て、卒論を書き上げた。その後、強羅公園に就職。ホテルや旅館向けに貸し出す観葉植物を担当した。葉の一枚ずつを拭き上げ、冬には寒さから守るために一本ずつ紙で包んでやった。当時は陶器の鉢が多く、足腰が鍛えられた。
○…現在はバナナなどが茂る熱帯植物の温室を担当。その中には情熱を注いでもなかなか応えてくれなかった木もある。鉄球のような実を結ぶはずの「砲丸木」は根を切ったり、水を止めるなどの試行錯誤の末、10年ごしでピンク色の花を咲かせてくれた。「あれは嬉しかった。植物も危機感を持つと子孫を残そうとするんでしょうかね」。
○…家ではきまってハサミを片手に家庭菜園へ。栽培が難しいバラを研究するため、休日は伊豆や埼玉のバラ園などにも足を運ぶ。日焼けした腕には剪定でついたのか無数の切傷が。ずっと前にこの庭で出会った女性と職場結婚した。奥さんとのいきさつだけは「勘弁して」と苦笑。定年まであとわずか。観光客の数々の思い出が染み込む風景を後輩たちに託すため、この夏も汗が乾かない。
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