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宮ノ下御用邸での日々 克明に 「昭和天皇実録」宮内庁で公開

公開:2014年9月26日

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裕仁親王の絵葉書小田原市立図書館「一枚の古い写真」より
裕仁親王の絵葉書小田原市立図書館「一枚の古い写真」より

 宮内庁が9日から公開している「昭和天皇実録」(1万2千ページ)に、小田原や箱根の御用邸で裕仁親王(のちの昭和天皇)が野山を歩いた日々が綴られている事が分かった。記録は宮内庁が24年をかけて編纂したもので幼少期の遊びや教育などが注目を集めている。

 裕仁親王の箱根来訪は主に避暑が目的で、1歳(明治35年)からの記録が残り、2〜3歳からは大平台や木賀などでの「ご運動」の文字も。宮ノ下御用邸は現在の富士屋ホテル菊華荘で、近くの常泉寺には「滞在中たびたびお成りになり、境内の石刻牛像にお登り」になった。この牛は今でも境内に残っている。

 小田原御用邸(現在の二の丸)は9歳の頃に避暑で滞在した。近くの天守台付近に雷が落ちた時は「少しもご恐怖の様子を表されず」。当時は弟宮の雍仁(やすひと)親王(秩父宮)と宣仁(のぶひと)親王(高松宮)も一緒で「やまと新聞社」の活動写真を観たり、久野や八幡山、谷津などに虫網片手に出かけた。早川橋では釣りを見学、酒匂川ではアユ漁に加わり数十尾捕まえるなど、地元との交流も多かった事がうかがえる。

イソップ風の童話も創作

 この頃は側近から一日2〜3回ほどイソップ童話を読んでもらい、みずから「きつねとうま」と題した物語を「御創作」。あらすじは、馬にばかにされたキツネが豆に化けたところ、逆に食べられてしまう、というもの。またある日は好きな動物を鉛筆で書き始め、1位はトラ、2位はヒョウ、ワニ、ウサギ…と第20位のコバンザメまで、相撲番付のように書き連ねた。ちなみにライオンは「いばっているので」コバンザメの後ろ。こうした動物好きの横顔は生物学者でもあった昭和天皇の面影に重なる。

「メカノ」

 学習院初等科卒業後は避暑での宮ノ下滞在が恒例化し、それに伴う地元の歓迎ぶりも記録されている。たとえば温泉村では若者たちが提灯を持って明星が岳に登り、光を連ねて「トーグーデンカ」「弥栄」などの文字を描き、それを見た親王は宮ノ下からカメラにおさめた。邸内での日課は主に自習や体操、午後は水浴などで、15歳の頃からは軍刀術や射撃など軍事教練の要素も加わってゆく。遊び道具は「メカノ」と呼ばれた組み立て式金属玩具が好きで、ほかにも木や針金などで艦船を作るなど、かなり手先が器用だったらしい。

箱根の山々登り尽くす

 成長とともに日々の記録には要人との面会や公務の数が増える。しかし親王は合間を縫うように山を目指した。浅間山には5回、駒ヶ岳、金時山、神山、鞍掛山、明神ヶ岳など、17歳の頃には箱根の山々を登り尽くし「ご満足のご様子」。ただ歩くのではなく御用掛に箱根の地勢や生物などについて説明を求め、吸収し続けた。芦ノ湖では貝や魚、大涌谷では硫黄といった標本を集め、時には邸内の木に黒砂糖と焼酎を塗り蛾を捕まえようとした。希少なオオサンショウウオの生息地には毎年のように通った記録もあり、強い関心事だったようだ。こうした足跡の多くは現在、箱根ジオパークの「ジオサイト」としても知られている。

 実録は宮内庁書陵部で1回50分程度閲覧できる。書籍にはなっておらず、今後5か年で刊行される予定。

幼少期に登った石像(常泉寺)
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