痛みを超えて追いかける
○…「テニスでもやってみたら?」。30年前、夫が差し出したラケットが始まりだった。最初は球が当たらず「野球バットみたいに振ってみたら?」と言われ、両手で握り直したところ打てるようになった。フォアもバックも両腕で全力返球。このスタイルは全日本の試合に出る今でも同じ。体に負担がかかるのか、腰や肩が常に痛む。それでも腹筋やスクワットに励み、体重は41キロ。夜は睡眠薬を飲んで眠りにつく。試合に勝てるようになるまで、無数の負けを積み重ねた。一体どんな情熱が湧いているのか。「やめたいと思う事?何度もありますよ」。目を丸くした。
○…山梨県の旧竜王町出身。兼業農家の家に生まれ、ヤギの乳をのんで育った。小さい頃から田植えを手伝い、学校に行くにも友達に合うにも長距離を歩かねばならず、自然と鍛えられた足腰がアスリート人生の基礎に。山梨大を卒業後に小学校の教員となり、熱海市の泉小学校などで働いた。「あの頃は厳しくしてましたね」と、思い出し笑いがこぼれる。授業から取り残された子を放課後にわかるまで教え、休み時間は徹底的に遊んだ。「大変だった子」が今どうしているのか、頭によぎることもある。25歳の時に同郷出身で小田原の高校教員だった照夫さんと結婚。二人の職場の中間点で「天災があっても水には困らない」と新崎川近くに移り住んだ。
○…北海道から九州まで、毎月全国を転戦するのには理由がある。「頂点を狙えるのは体力的にこの1〜2年。強い若手が出てきますからね」。湯河原に戻った日は特技のフルートを練習したり農園の手入れをしたりと、体を止めない。趣味は歴史本などの読書で、明治天皇に直訴した田中正造を尊敬する。「汗を流す人、頑張っている人が好き。道ですれ違ったサラリーマンであっても」。疲れや痛みは当たり前。それを上回るものが華奢な胸中にこんこんと湧いている。
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