秦野版 掲載号:2017年3月16日号
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「被災地と密につながり続ける」 秦野の支援隊が宮城・岩手を訪問

社会

千葉さんが津波から逃れるため登った裏山。千葉さんや残りのメンバーが見守る中、津波到達点に桜を植えた
千葉さんが津波から逃れるため登った裏山。千葉さんや残りのメンバーが見守る中、津波到達点に桜を植えた

 3月11日で東日本大地震から6年が経った。

 知的障害のある人の保護者の会「秦野市手をつなぐ育成会」の相原和枝会長(62)らは「自分たちにもできる支援があるはず」と、2011年から市民の有志と共に支援隊(杉崎貞夫代表・27人)を結成して宮城県などの仮設住宅を訪問してきた。支援物資を届け、炊き出しを行う中で、現地の人と仲良くなったメンバーもおり、相原会長は「支援する側される側ではなく、友人として今後も付き合っていきたい」と話す。

 支援隊は11日、岩手県陸前高田市を訪れ、秦野市内で募った寄付金を陸前高田市教育委員会の鈴木貴子さんに手渡した。この寄付金は支援隊、市福祉部、秦野観光和太鼓、保護司会、市民の有志の協力で集められたもの。東日本大震災で両親をなくした子どもたちの支援基金となる。

 受け渡しの場所は、震災前、陸前高田市の中心街だった高田松原の近く。15mの津波で街並みのほとんどが流され、今は震災遺構の建物と、かさ上げ用の土砂の山が目立っていた。

津波到達点に秦野の桜

 翌日、支援隊は宮城県南三陸町の千葉みよ子(70)さんを訪ね、支援隊メンバーの鍋田進さん(71)が秦野で種から育てたソメイヨシノの苗を、津波到達点に植えた。30代のメンバーでさえ足を滑らせてしまうほど急な斜面。スコップと桜を手に苦労しながら山肌を登る支援隊を見守りながら、千葉さんは言う。「私はあの日、ここを登ったんですよ」

 2011年3月11日の地震発生後、千葉さんは津波から逃れるため、夫と近所に住む一人暮らしの90代の女性と共に裏山へ向かった。途中、その女性は突然気を失ってしまい、夫婦でその体を引きずりながら急な斜面を懸命に登ったが、頂上まで付かないうちに津波は押し寄せて来た。「私の膝まで波が来て、その人は腕からするりと抜けていった。目の前で波にさらわれていったんです」

 千葉さんは震災で、孫娘のゆうちゃん(当時3歳)を失った。「たった一人の孫だった。震災前には、孫が大きくなったら…という夢があった」。また、作業所で津波に遭った知的障害のある次女・華奈さん(43)は多くの仲間が流されるのを目にした事をみよ子さんに打ち明けた直後、髪がどっと抜けてしまった。

 「避難所にいた頃、『苦しいのは皆同じ』と言われるのが嫌で人と話さないようにしていた」という千葉さん。仮設住宅でも賑やかな場に行くのは控えていたが、2013年11月に秦野の支援隊が炊き出しに来た際、秦野市手をつなぐ育成会の名前と聞き、「障害のある子を持つ親どうしなら」と思い切って話しかけた。

 相原会長らとその後も交流を深め、支援隊が仮設住宅を訪れる度に自分の部屋を案内した。昨年2月には秦野市保健福祉センターで講演を行い、秦野市民250人以上が千葉さんの話に耳を傾けた。

 現在は高台の新居で暮らす千葉さん。「この桜をほかの人にも見せて、津波が来た時の事を話します。桜が咲いたらまた来て下さい」と支援隊に語りかけた。
 

陸前高田で寄付金を渡す相原会長(左)ら
陸前高田で寄付金を渡す相原会長(左)ら
山の下から支援隊を見守る千葉さん
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