神奈川県 シニア起業家特設ページ(平成29年3月15日まで)

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健康寿命の延長により、「地域に貢献したい」「培った知識やノウハウを活かしたい」等の意識から起業に挑戦するシニアの方々が増えてきています。

県内においても、これまでに多くのシニア層が起業家として新たな人生を歩みはじめています。

そこでこのページでは、起業に役立つ情報を取りあげるほか、既に活躍しているシニア起業家の方々をご紹介していきます。

シニア起業 応援メニュー

※運営は銀座セカンドライフ株式会社に委託しています。

「人生100歳時代!輝けシニア起業家」の刊行と読者プレゼントのお知らせ

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 神奈川県はこのたび、「人生100歳時代!輝けシニア起業家(編集・制作/㈱タウンニュース社)」を刊行致しました。県内シニア起業家の紹介や起業に役立つ情報が詰まった1冊です。そこで、このガイドブックをタウンニュース読者および本WEB特設ページをご覧の方200名へプレゼント致します。希望者は件名に「シニア起業家」係と記入の上、本文に住所、氏名、連絡先を明記し、eigyoubu@townnews.jpまでご応募下さい。締切は2月28日。当選者の発表は発送をもって代えさせて頂きます。 問い合わせは、タウンニュース社本社営業部企画課045−913−1220。

※個人情報は発送時のみ使用致します。

輝くシニア起業家たち

業種別検索

横浜地区

ツートップ制で指定居宅サービスを展開

株式会社あざみ野ヒルトップ

舩曵 寛眞さん

1933年、岡山県生まれ。大学卒業後、東京急行電鉄に入社。出向先の日本エアシステム代表取締役社長や日本航空名誉顧問を歴任。リゾート型貸農園「アグリライフ倶楽部」の代表も兼務し、あざみ野ヒルトップでは経営・財務等を担当する。

松下 明美さん

1954年、熊本県生まれ。熊本県内の病院で副院長として40代中頃まで勤務。高い看護スキルを買われヘッドハンティングを受け「初台リハビリテーション病院」開業に携わる。定年後、あざみ野ヒルトップ代表として主な実務を担当する。

起業 2015年
起業時の年齢 82歳(舩曵さん)・61歳(松下さん)
業務内容 指定居宅サービス事業
本社 横浜市青葉区あざみ野2-21-23
HP http://www.azaminohilltop.com/
舩曵寛眞さん

舩曵寛眞さん

松下明美さん

松下明美さん

サロンと訪問看護で
地域の健康づくりに一役

舩曵さんは、妻に先立たれ、一緒に暮らすはずだった息子までもが不慮の他界。一人暮らしでは持て余す自宅を「地域のために役立てたい」と相談を持ち掛けたのが、古くからの知人で、看護師として息子の最期を共に看取った松下さんだった。当時、勤務していた病院を定年退職し「経験を生かし、高齢者のために何か役立つ事を」と考えていた事もあり、起業計画は瞬く間に進捗。ベテラン看護師の人脈を生かし開業スタッフにも恵まれた。

指定居宅サービス事業として「訪問看護ステーション」と「コミュニティサロン」の機能を併せ持つ「あざみ野ヒルトップ」は、こうして誕生した。

人生の最後を住み慣れたこの街で

自宅を改装したこの施設があるのは、開業半世紀を迎えた東急田園都市線沿線。「私自身もそうですが、当時働き盛りの30歳前後で移り住んできた地域の皆さんも80歳。住み慣れた我が家で過ごしたいという思いの方が多いのでは」と舩曵さん。そんな土地柄とニーズを考慮し、お年寄りが安心して暮らせるための様々なサービスを提供している。

かつてリビングだったスペースは「コミュニティサロン」として開放。専門家による健康相談なども定期的に行い、地域に親しまれている。「訪問看護ステーション」では看護師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士などの専門スタッフが自宅へ訪問。療養生活のサポートにあたっている。今後は舩曵さんが代表を務める貸農園を活用した新サービスの方向性を模索するなど、さらなる展開も計画している。

2人が共に代表を務める「ツートップ制」を敷いているのは、看護業界に精通している松下さんが実務を担当し、かつて航空会社社長を務めた舩曵さんが経営や財務を管轄する「分業」を明確にするためだ。「老後も自立した人生を送るために必要なものはやる気です。年齢は関係ありません」と口を揃えた。

墓石に刻むデザイン画を制作

墓石絵 桂

太田 桂さん

1954年、兵庫県神戸市生まれ。美術大学卒業後、都内のデザイン会社勤務などを経て、高校の美術講師となる。2013年に「墓石絵 桂」を起業。依頼者に故人の話を聞き、墓石に刻むデザイン画を描く。

起業 2013年
起業時の年齢 59歳
業務内容 墓石絵デザイン業
本社 横浜市戸塚区名瀬町
HP http://www.bosekiart.com
太田 桂さん
海が好きだった父の墓石に描いた絵

生きた証しを墓石に描く
悲しみ乗り越える手助けに

ある墓石には、故人が好きだった向日葵を描いた。「4人家族で過ごした思い出を忘れない」という思いを込め、デザインした向日葵は4輪。遺族との会話を元にイメージを膨らませた。2013年に立ち上げた「墓石絵 桂」は、遺族からの依頼を受け、墓石に彫る絵のデザイン画を描くことが業務。「見た人が故人の優しさを感じられるように心がけています」と説明する。完成した絵は石材店を通し、墓石に彫られる。色付けもただ綺麗に描くだけではなく、紫外線で退色しにくい色を選ぶなど、長い年月を見据えた工夫も施す。

墓石に描くデザイン画に着手したのは、父が亡くなった時に遡る。神戸市出身で阪神大震災の記憶があり、地震に強い横型の墓を選択した。しかし名前を刻んでも、空いている墓石の余白が気になった。そこで海が好きな父を思い、「帆船を描こう」と考えた。石材店で刻んでもらった後、自ら彩色し完成。その出来栄えには、親族の皆が喜んでくれた。「私と同じように思い出を刻みたい人がいるのでは」。この時の経験が、起業のきっかけとなる。

起業塾で経営学ぶ
起業の選択肢伝えたい

美術大学を卒業後、デザイナーなどを経て、県内の高校で美術を教えている。父も夫もサラリーマン。起業とは無縁の人生だった。それゆえ、どのように起業すれば良いのか分からなかった。そんな時見つけたのが、(公財)横浜市男女共同参画推進協会が運営する「女性起業家たまご塾」の塾生募集告知。プレゼンを経て入塾が決まり、半年間起業のイロハを学んだ。起業をめざす仲間とも出会う。同塾で情報を得て、(公財)神奈川産業振興センターや横浜市経済局創業支援課、(公財)横浜企業経営支援財団など、様々な起業支援窓口も利用。「起業をフォローする環境が本当に充実している」と振り返る。

丁寧に依頼主の話を聞くため、完成までに1年以上要したこともあった。利益重視の商売ではない。それでも「悲しみを乗り越える手助けになれば嬉しい」と話した。

海が好きだった父の墓石に描いた絵

感動を呼ぶ街頭紙芝居

街頭紙芝居なつかし亭

岸本 茂樹 さん

1949年、東京生まれ。中学2年で横浜市に移る。大学卒業後、市役所職員として60歳まで勤務。図書館長を退職後、街頭紙芝居なつかし亭を設立。年間100〜150回の公演を行う。

起業 2010年
起業時の年齢 61歳
業務内容 街頭紙芝居、教育紙芝居の企画、セミナー、上演巡業
本社 横浜市港北区高田東4-5-10
HP http://なつかし亭.jp
岸本 茂樹さん
公演
子どもから大人まで盛況の舞台

子どもも大人も感動する
ホンモノの紙芝居

小さい頃から大衆芸能が好きだった。街頭紙芝居を追いかける幼少期を過ごす。市職員となり、図書館長に就任。そこで紙芝居の利用価値に気がついた。「人を喜ばせること、地域に貢献できることがしたかった」。紙芝居おじさんとして、第二の人生がスタートする。

なつかし亭の紙芝居は「読む」のではなく「演じる」だ。登場人物の声色をそれぞれ変え、話を膨らませるなどして、臨場感を出す。「説明と会話は違う。物語本来の魅力を強く優しい力で伝えたい」と話した。

活動場所は商店街やイベント。大学や専門学校でのセミナーも行っている。「若い世代に昭和の記憶遺産、有形民族文化を伝えたい」と話す。

自身が大切にしていることは「子どもと一緒に大人も楽しめる紙芝居」。「昔と違って親の目は厳しくなっていると思う。親御さんの評価も得ないと地域ではやっていけない」と、強い覚悟で臨む。

「お金」ではなく「笑顔」

好きな物語は「風雲流五郎」などのチャンバラ劇や「愛の山河」といった母子もの。年間100〜150回、今までに600回以上の公演を250の施設でこなしてきた。しかし、起業当初は営業活動が難しく、出演料の不払いや踏み倒しもあった。

モチベーションは終わった後の拍手。自身が欲しているのは出演料だけではなく、正当な評価や笑顔だ。「明るく、楽しくそしてひたむきに、一人ひとりのお客様を大切に取り組んでいきたい」と話す。

引きこもりの青少年支援や、中高生を対象にしたコミュニケーション力育成の講座を行うなど、紙芝居を通して活躍の裾野を広げているが、今後の夢は「他に類のない〝紙芝居の力〟を活用して、多くの笑顔を生み出していくこと」。

子どもたちから「次はどこに行ったら観られるの」と熱い声が上がる。その姿を60年前の自分に重ねながら、また半径3mの舞台の幕が上がる。

公演
子どもから大人まで盛況の舞台

手ぶらで野菜作りができる貸農園

株式会社らいふ菜園す

綿屋 恒利さん

1952年、東京生まれ。商社マンとして主に機械関係の仕事に従事。1984年に横浜市に移住してから、趣味で家庭菜園を開始。62歳で退職し、2人の仲間と共に「らいふ菜園す」を立ち上げた。

起業 2016年
起業時の年齢 63歳
業務内容 貸農園の企画、新規開設、管理、運営など
運営本部 横浜市泉区新橋町998-2
HP http://life-saiens.com/company.html
綿屋恒利さん
区画
貸し出しは全60区画

趣味を仕事に
結果と面白さ求めた貸農園

商社マン時代、同僚の勧めで家庭菜園をスタート。自分で育てて食べられる喜びを知った。定年退職後は文字通り「畑違いの、やっていて面白いことをしたい」との思いから起業を決意する。「趣味の延長での起業だから、準備が大変だった」と語る。一般市民に農地を貸し出すために、まずは地主との交渉。足で稼いだ結果、港北区新羽の畑を探し当て、横浜市と農業委員会から特区農園の認可を受ける。資材などを置くビニールハウスは自身の手で建て、募集開始にこぎつけた。

貸農園「らいふ菜園す」のモットーは初心者でも簡単に野菜作りができ、結果を感じられるもの。用具、肥料、苗、水など全てを揃え、手ぶらで野菜作りができる環境を作り上げた。また、サントリーフラワーズ㈱に相談し、良質でよく育つ苗を確保。「野菜作りは結果が出ないとつまらない。結果が出れば長続きする」と説明する。

自身らがアドバイザーという立場で借り手をサポートするのも付加価値の一つ。土日祝日は必ず畑に常駐し、利用者にアドバイス。ナス、トマト、キュウリといった実ものを中心に、20品以上の収穫ができる。「『今年ほど野菜を食べた年はない』という利用者の声が嬉しい」

コミュニティーを育み
農業の良さを継承

貸し出しは全60区画(港北区新羽)。課題は集客だという。ホームページやチラシで農業に興味を持っている幅広い世代に訴求している。今後はピザ釜を導入し、獲れたて野菜で作るピザパーティーといったイベントも計画中だ。

「特にファミリー層に利用してもらいたい。コミュニティーが育まれると、子どもの食育にも繋がる」と話す。募集区画が埋まれば、新たな農地を探して、増設していくという展望もある。

「好きなこと」を事業化させた起業家。「身の丈に合った事業を選んで楽しむ事。利益を上げるより、赤字を出さないようにして、楽天的な考えでやればいい」とコツを教えてくれた。

区画
貸し出しは全60区画

自身の体験から生まれた補聴器専門店

バーナヨコハマおみみショップ

大槻 公孝さん

1947年に福島県で生まれ、千葉県で育つ。小学2年時に戸塚区へ。10代から難聴を患う。大井電気(株)に入社、技術職に24年間従事。㈱シーティーエス設立後2013年にバーナヨコハマおみみショップをオープン。

起業 2013年
起業時の年齢 66歳
業務内容 補聴器の販売、調整修理。補聴器専用クリーナーの開発、販売など
本社 横浜市戸塚区下倉田町244-1
HP http://www.omimi.jp
大槻 公孝さん
フィッティングルーム
大槻さん自作のフィッティングルーム

「音のある世界に戻りたい」
熱意から生まれた補聴器専門店

難聴に悩み続けて50年。様々な観点から補聴器や耳の機能を研究し、多くの人が難聴で悩んでいることを知った。フィッティングルームや作業台など、すべて手作りでオープンさせた補聴器専門店は、自身の知識と体験の結晶だ。

難聴は大学卒業後から気になり出したが、エンジニアとして仕事に打ち込んだ。遠方監視制御テレメーターの設計などに携わり、20数年が経つ頃には責任ある立場となる。そこで感じた切実な思いは「会議が辛い」ということだった。母音は何とか聞こえるも、子音が入ってこない。とはいえ、何度も聞き返すわけにはいかない。46歳で会社を退職した。

産業用コンピューターの輸入業を行う株式会社シーティーエスを立ち上げたが、近年は市場が変わった。そんな時、難聴フォーラムで出会った補聴器会社の社長が、背中を後押しする。「音のある世界に戻りたい」という熱意が人一倍強かった自身に「知識があるならそれを商売にしたら」との一言。補聴器専門店開業のきっかけだ。

難聴エンジニアだからこそ

「25年前にこの補聴器に出会っていたら、会社を辞めていなかった」。自身が使用しているのはスイスの「バーナフォン」。難聴の元技術者ゆえ、その精度が理解できた。

補聴器の販売や修理を行う同店だが、自身の技術力を生かして補聴器クリーナーの製造にも乗り出した。また、洗浄と合わせて行う乾燥機も開発中。利用者に作業終了の合図をランプで知らせるなどの気配りも。「難聴でないと補聴器の良し悪しは分からない。医療的なこと、それ以外の知識も必要」と語った。

「オープンした時、4年は客が来ないと言われたけれど、始めてみるとたくさんの人が頼ってくれる。口コミで遠方から来てくれる人もいる」と安堵の表情。熱意と誠意が実り、音のある生活を再び手に入れた今、補聴器の理解啓発に向け著書の出版も視野に入れている。

フィッティングルーム
大槻さん自作のフィッティングルーム

作り手と消費者をつなぐ街中マルシェ

株式会社大喜コーポレーション

仲里 一郎 さん

1952年、東京生まれ。東海大学卒。県内大手建設会社で土木・建築の仕事に従事。新規事業で3年間、アグリビジネスに係わる。2008年㈱大喜コーポレーション設立。街中直販所「驛テラス」を運営などを行う。

起業 2008年
起業時の年齢 56歳
業務内容 新鮮野菜販売卸。安心・安全な食を最適なマーケットに展開する
本社 横浜市戸塚区秋葉町520-46
電話 045-813-3376
仲里一郎 さん
驛テラス
多くの人でにぎわう驛テラス

アグリビジネスへの出向経験
野菜販売に商機を見出し起業

横浜市中区のビル街にあるレストラン「驛(うまや)の食卓」のデッキに週2回の「驛テラス」。昼休みになると近辺のOLが集まる。「新鮮、安心、安い」が人を呼ぶ。横浜市内産の野菜を主力に対面販売。在籍していた会社が本社ビル内で経営するLED菜園の野菜も売る。

大学を出て奈良建設に就職。建設現場を経て、営業、プロジェクト推進の仕事を経験した。在職中、新規事業への出向でアグリビジネスの経営に関わるが、野菜の販路開拓で苦労。しかし同時に野菜販売の仕事に、商機と魅力を感じていたという。出向満了を機に退職、農産物の小売り、卸販売で独立することを決意。56歳、定年前に新会社を設立した。

「作り手の思いと消費者の声をつなぐ街中マルシェ」をイメージし、「安心・安全な食を最適なマーケットに展開する」がコンセプトだ。

朝は特に忙しい。戸塚の自宅からほど近い保土ケ谷、泉、旭、都筑区などの10軒の契約農家をぐるっと回り朝採れ野菜を仕入れる。仕入れた野菜は、デパ地下青果小売店への卸とテラスでの対面販売で全量売りきる。事務は最強のパートナーの妻が、また接客は、「驛(うまや)レディス」と呼ばれるテラスのファンである常連客がサポートしてくれる。テラスは火曜、金曜の11時〜15時までが営業時間。月1回の日曜日には、逗子、片倉のカーディーラーでも販売している。

「定年前の起業はリスクがつきもの。第一に顧問など固定収入を確保し、二番目に売り上げに応じた事業展開、そして同時に将来を見据えた種まき的な仕事もする」。60歳で起業した先輩の重い言葉を守っている。

野菜の販売はロスゼロ。関わってきた人々との絆がモノを言う。全国にいる大学時代の仲間、サラリーマン時代の知己など広大だ。店先を借りているレストランも、そもそもは営業先。野菜の仕入れ農家も建設会社時代のお客さん。人懐っこく、温かな人柄が武器かもしれない。

多くの人でにぎわう驛テラス

「米粉」を活用した商品の開発・販売

合同会社カフェらいさー

村上 孝博さん

1950年、岐阜県生まれ。銀行マンとして事務、融資、営業部署等で活躍後、信組や部品メーカー出向を経て定年退職。職業訓練の一環として受講した「米粉パンづくり」に感銘を受け、一念発起して起業した。

起業 2013年
起業時の年齢 63歳
業務内容 菓子製造業、飲食業
本社 横浜市南区日枝町4-97-2 グレイス南太田104
HP http://www12.plala.or.jp/raiser/
村上 孝博さん

挑戦意欲を掻き立てた
米粉を究める

現役当時は銀行マン。定年退職後、岐阜で暮らす母親の介護に専念するため一時的に帰郷。母親を看取り、再び人生の転換期を迎える。新しい「何か」への挑戦意欲を胸に再上京し、ハローワークの「無料職業訓練講座」を受講した。

この講座を通して現代農業が抱える課題を知り「社会のためになることをやろう」と起業を決意。とりわけパンやケーキづくりの実習時に食材として手にした「米粉」に強い関心を抱いた。「米の消費拡大が、将来的には休耕田の減少などに繋がれば」という意欲も生まれる。「まずはできることから始めよう」と米粉を活用した商品の販売を模索する。しかし、商品化を目論んでいた「米粉パン」や「米粉シフォンケーキ」は取り扱う事業者が少なく、事業ノウハウも確立していなかった。そこで、米粉に特化したパン教室等へ通いスキルを少しずつ身に付け、約1年のテスト販売を経て2013年、63歳の時に「カフェらいさー」の開店にこぎ着けた。蕎麦店だった物件をリフォームした店頭には150円〜300円の価格帯を中心とした十数種のパンが並び、多い日は80個ほど売れる。一般的にフワフワ感に乏しい、といわれる「米粉パン」だが、持ち前の探究心でこの弱点を克服した。顧客の要望を受け新作を生み出すこともある。今年2月に登場した「グルテンフリー」は、小麦アレルギーの子どもを持つ親からの要望で完成。渾身作で、食味も秀逸だ。「お客様のニーズが(商品開発の)モチベーションになっている」と笑顔をみせる。

「やらない後悔はしたくない」

店は月に16日営業。休業日もイベントでの出店やパンづくり教室などで米粉PRに勤しむ。各地で起業を目指す人をサポートして、「米粉販売ののれん分け」という夢もある。採算や原価率などをデータ化した「起業ノウハウ」提供も検討中。起業は「やらないとわからないことが一杯だから、予期せぬ楽しさがある」という。「やらない後悔はしたくないんです」と胸を張った。

歌で繋がる憩いの場を運営

なつかしの歌声教室(サロン)

内藤 純江 さん

1956年神奈川県生まれ。音楽学校卒業後、15年間指導を経験したのち、ピアノ音楽教室を開校。2012年、同サロンを新たに設立。

起業 2012年
起業時の年齢 56歳
業務内容 グループレッスン形式で学ぶ歌声サロンの運営
本社 横浜市西区東ヶ丘11-11
電話 045-231-2077
内藤純江さん
サロン風景

シニアのニーズに応えた
歌で繋がる憩いの場

ピアノ講師として活動する傍ら「どこかで歌える場所はないか」というシニア層の声に応え、新規事業を決意した。当時50代半ば。「自分が社会に受けた恩恵をこれからの高齢化社会に還元したい」との思いからだ。

起業資金は約30万円でスタート。レッスン場所を公共施設にするなどして出費を抑えたが、「教材選び」にはこだわった。同サロンのモットーは「皆の意向に寄り添ったサロン」。誰もが知っている歌や楽しめる歌だけでなく、生徒が要望する曲にも細かく対応している。カラオケなどにはない童謡や唱歌、シャンソンやフォークが歌えるのも魅力の一つ。懐かしい思い出の曲を歌い、心からの若返りを目指している。

「収益は二の次。それよりも楽しさや元気が大事」と話す。現在、生徒は15人ほど。年齢は60代から80代。

好きなものをパワーに変える
そこに年齢は関係ない

「最初は人が集まるか不安だった」と心境を吐露する。他の音楽教室やボイストレーニングと違うのは、「教室」というよりあくまで「社交場」であること。上手く歌うのではなく、楽しく歌うことを訴え、ゆっくりだが確実にファンを獲得してきた。「教えるより教わる方が大きい。声の出なかった人が歌えるようになってイキイキしてくると、こちらも元気をもらえる」とにこやかな表情をみせた。コンサートにも定期的に参加しており、シニア層が仲間たちと文化祭さながら、目標を持って練習している。

幼少時代は運動が苦手で本を読むか、勉強するか、ピアノを弾くかだったという。半世紀以上を音楽とともに生きている。「趣味が仕事に繋がるのはベスト。楽しみながらやれば、年齢に関係なくエネルギッシュになれるから」。自身の思い出の一曲は「カーロ・ミオ・ベン」。最愛の人のために歌ったイタリアの名曲で、長い音楽人生の中で、気付けばこの曲が耳に残っていたという。ピアノ伴奏に合わせて歌うと、一層美しさが表現されるこの曲。自身の伴奏に生徒の歌声を乗せて、大勢の前で響かせることが目標だ。

サロン風景

訪問理美容などを行う福祉美容室

株式会社福祉美容室カットクリエイト21

藤田 巖さん

1941年東京都生まれ。大学卒業後、富士通信機製造(現富士通)に入社。営業推進部長などを務める。在職中に美容師の資格を取得。現在は㈱福祉美容室カットクリエイト21および㈱出前美容室若蛙で代表取締役を務める。LLP全国訪問理美容協会理事長。

起業 2001年
起業時の年齢 60歳
業務内容 訪問理美容、無料送迎サービスなど行う福祉美容室
本社 横浜市栄区犬山町31-3
電話 045-892-5651
藤田巖さん

第二の人生は人に役立つ仕事を!
「全国へ福祉美容を広めたい」

「シニア起業家」が増加する一方で、失敗する人も少なくはない。そんな中で、「生涯現役」を実践するひとつの形として、多くのメディアから注目を集めるシニア起業家がいる。横浜市栄区で「株式会社福祉美容室カットクリエイト21」を経営する藤田巖さん。富士通を定年退職後、美容師に転身。高齢者向けのサービスを行う福祉美容室の先駆者として活躍する。75歳となった今も、ハサミを握り続ける藤田さんの人生を追った。

髪のケアは心のケアがモットー

富士通時代は、一貫して営業畑を歩み、営業推進部長などを歴任。58歳の定年退職まで勤め上げた。第二の人生を考え始めたのは50歳の時。「会社を退職しても人生は続く。何か新しいことにチャレンジしたい」と考えた。そんな中で、目に留まったのが一片の新聞記事。歩く意欲を無くしてしまった老女の髪を綺麗にカットしたところ、元気に歩くようになり、周囲と会話を楽しむ姿を伝えていた。「医師にできないことが美容師にできたことに衝撃を受けました」と振り返る。当時、84歳だった病床の母親も「美容院に行きたい」と話していたことも思い出した。福祉と美容が組み合わさることに気づき、「美容師になる道を歩もう」と決意した瞬間だった。

50歳で美容学校に入学
資格取得へハードな毎日

目標が定まるとすぐに行動。50歳のうちに会社に内緒で美容学校の通信科に入学した。美容師になるには2年間の学科受講が必要。「必須だった10日間のスクーリング(面接授業)は、勤続30年のリフレッシュ休暇を利用しました」。当時美容師免許取得のために必要だった通常1年間のインターンについては、受け入れ先の美容室に頼み込む。2年間にわたり土日出勤という代替条件を得て、無遅刻・無欠勤で修了した。仕事がある平日は朝4時に起床し練習に励み、仕事が終わった後は勉強会へ参加。土日は美容室でのインターン。約2年間、ハードな生活を過ごした。それでも実技試験に2度失敗。3度目の正直で美容師免許を取得したのは、定年が2年後に迫った56歳の時だった。福祉と美容を結び付けるため、ホームヘルパー2級(現・介護職員初任者研修)の資格も57歳で取得した。

1都3県へサービス拡大
後継者の育成へ飛び回る

定年退職後は起業に向け、「世界のトップサロンの技術を肌で感じよう」と渡英した。ロンドンのヴィダル・サスーンに2カ月間留学。帰国後は、金沢八景の美容室で2年間修業した。そして60歳で、念願の美容室を構えた。栄区を選んだのは、横浜市の中で一番高齢者率が高く、坂道も多かったこと。無料送迎などを行う訪問理美容の需要が高いと考えた。しかし当初は、チラシ配りに奔走しても僅かな依頼しか来ない。それでも真心を持って対応するうち、仕事ぶりとサービスが地域で評判となり、少しずつ利用者を獲得していった。2007年には訪問美容サービス部門を業務移管させた「株式会社出前美容室若蛙」を起業。美容師をはじめ、40人以上の有資格者を抱え、神奈川県だけではなく、東京都、千葉県、埼玉県までサービスエリアを拡げるまでに成長した。顧客には病院や介護施設など、今は70社180施設が名を連ねる。

一方、利益は人件費でほとんどが消えてしまう。自分自身の収入は多くはない。が、それ以上に叶えたい夢がある。それは全国へ福祉美容を拡げること。高齢化社会を迎え、訪問サービスなどを兼ね揃えた福祉美容の需要は一層高まると確信している。「後継者を育てたい」という思いでLLP全国訪問理美容協会も立ち上げた。全国を飛び回り、技術指導にあたるほか、講演も積極的に行う。

日々の活力はカットした高齢者から掛けられる「ありがとう。また来てね」というとびきりの笑顔。「無表情だった人がにっこり笑ってくれると嬉しくてね」と自身も顔をほころばせた。

シニアの起業希望者へ
伝えたい3つのこと

起業を志すシニアに向けては、「準備期間をしっかりと持つこと」、「技術だけではなく、営業も必要なこと」、「自分の強み、弱みをしっかり把握すること」の3点を先輩起業家からのメッセージとして挙げる。「すぐに始められる事業は誰でもできてしまう。何をすべきかをしっかりと考え、準備期間を持つことが大事」、「知ってもらうためには、営業力が欠かせない。自分に足りなければ、『営業』ができる人の力を借りよう」、「シニアには様々な経験があるはず。自分の強みを生かすことが大切」など、自身の経験を踏まえ説明する。最後に「完璧を求めすぎてもダメ。無理をせずに出来る範囲で始めるのがいいね」と優しいスマイル。

髪のケアは心のケアがモットー

SLで地域創生

ブロードゲージ合同会社

齋藤 茂造さん

東京都生まれ。結婚を機に神奈川県に移り住む。大学卒業後、外資系専門の会計事務所、㈱アスキー、ソフトバンク㈱を経て独立し、経産省が行う産学連携支援事業に携わる。培った人脈と知識を生かし、民間企業ブロードゲージ合同会社を立ち上げ、小型SLを使った地域創生プロジェクト事業をスタート。

起業 2008年
起業時の年齢 45歳
業務内容 特定目的鉄道事業及び地域創生事業
本社 横浜市中区桜木町1−101−1クロスゲート7階
HP https://broadgauge.jimdo.com/
齋藤 茂造さん
SL
国内外複数の車両メーカーと協力関係を構築(イメージ)

小型SL観光鉄道で地域創生、
走り出したプロジェクト

サラリーマン時代、企業の経営企画室に勤務し、M&Aやファンド形成などを幾度も経験してきた。そこで培ってきた知識やスキルを生かして構想を練ったのが、小型SL観光鉄道による地域創生だ。

地方には廃止寸前の赤字ローカル線が多く存在する。「地元の鉄道が無くなれば、シニアは仕事が減り、若い人は町を出ていく。そうなるといずれ町自体が世間から忘れられ、地図から消えてしまう」と警鐘を鳴らす。

ブロードゲージ合同会社は、地方自治体や地元の企業経営者、地主らとコンタクトを取り、観光鉄道会社設立から自治体との連携、資金調達や雇用の確保などを生み出すマネジメント会社という立ち位置。国内外のメーカーによる新規SL車両の製造から運営までの一式をパッケージ方式で提供する。

45歳で起業したが、同プロジェクトが始動したのは50歳を過ぎてから。観光鉄道事業はレンタルオフィス「かながわシニア起業家応援サロン(桜木町)」を利用し業務を進めている。「鉄道事業の実績が無いから当然ですが、当初は誰からも相手にされなかった。話はあっても、具体的に進まずに地方への交通費だけが嵩んでいった」と苦労を語る。

愚論を正論に、残すハードルは地域パートナー選び

なぜ地方にSL観光鉄道が必要か。具体策やリスクヘッジはどうするか。課題を一つひとつクリアしていった。

現存のローカル線敷地内に一回り狭いレールを敷く単複線(ガントレットレール)を提案した。また、新製造の車両は主要部分の共通化を図った。こうすることにより生産コストは削減させつつ、外観デザインは個性を持たすことができる。同一規格であれば他の地方の路線と車両をローテーションして使用することができ、期間限定で走らせることも可能だ。つまり安価で魅力的なSL車両を簡単に導入することができ、例えば夏休みの時だけ観光資源としてSLを走らせるといった、きめ細かい地域戦略も考えられる。

雇用創出にも着目。地元学生が参画し、シニア層を鉄道員として教育することで、人材を確保し流出を防ぐ。

着実に交渉を重ねて、スポンサー候補も増えた。いくつかの市町村では、市町村の議会で話題に挙げられている。「あとは実現化させるだけ。相手選びは慎重に行いたい。赤字ローカル線が走る地方で、自分たちの利益だけでなく地域創生の一環という視点を持ったリーダーが出てくると嬉しい」。のどかな田園風景の中に、小さくとも力強いSLが走る日は近づいている。

SL
国内外複数の車両メーカーと協力関係を構築(イメージ)

川崎地区

鮮度にこだわったコーヒー豆を販売

コーヒーローストまほろま

寺内 昌弘さん

栃木県生まれ。高校卒業後に上京し、都内銀座で喫茶店へコーヒー豆を卸す職に就く。20代後半に神奈川県へ。以後、60才の定年まで勤続。リフレッシュ期間を経て、2015年にコーヒーローストまほろまを開店。

起業 2015年
起業時の年齢 62歳
業務内容 世界中のコーヒー豆を焙煎し販売する、コーヒー関連専門の販売業
本社 川崎市高津区向ヶ丘166-3
電話 044-863-8911
寺内 昌弘さん
ほっと一息つける店内

本物志向のコーヒー
鮮度は命、ローストは魂

きっかけは、何となく受けたコーヒー関連企業の入社面接だった。お土産でもらったレギュラーコーヒー。「インスタントしか知らなかったから、家に帰って飲んだ時に衝撃が走った」と話す。

すぐに入社を決め、商社から豆を買い付けて店ヘ卸し流通を確保するなど、約40年間、コーヒー業界に身を置いた。

退職後も、自身の根底にあったのは「価値ある世界のコーヒーを知ってもらい、鮮度抜群の味で至福のひと時を楽しんでもらいたい」ということだった。

オープンさせた「コーヒーローストまほろま」は喫茶店ではなく、コーヒー豆を焙煎して販売する工房。「コーヒーに関わることなら何でも良かったけれど、喫茶店の個人経営は厳しい時代。今の主流は家庭用だと感じた」。長らく業界を見てきたからこその着眼点だった。

注文を受けてから焙煎、グラインド(豆挽き)をして販売するが、待ち時間には日替わりで世界のコーヒーを淹れてもてなすのも特長だ。香ばしい香りと、パチパチという爆(は)ぜ音が店内に響く。

客とのコミュニケーションで
やりがいを実感

店内には、世界の生産国の厳選された26種の生豆が並ぶ。自身が好きなのはコロンビア産のクレオパトラ。マイルドな口当たりと、ほのかな酸味を感じることができ飲みやすいという。

同店のこだわりは、何と言っても鮮度。「美味いコーヒーは生豆を見ただけで分かる。一番良いコンディションで飲んでもらいたい。最適な焙煎度は豆ごとに違うが主には2回爆ぜた時が出し時」と語った。

また、コーヒーの美味しい淹れ方講座なども随時行っている。客と話すと仕事のやりがいを実感できるそうだ。

店名は当初、素晴らしい場所という意味を込めて「まほろば」にしたかったという。しかし間違えて「まほろま」になり、そのままにしてあるのだとか。今ではその名に愛着が湧き、地域に必要な「素晴らしい場所」として浸透している。

ほっと一息つける店内

不動産とトリミングショップ運営

株式会社わんにゃんサポート

松村 弘さん

1946年に山口県で生まれる。冷暖房設備会社に入社後に上京。その後、不動産の世界へ。2011年12月わんにゃんサポート開業、14年3月トリミングショップ「わんわんサロン登戸店」をオープン。

起業 2011年
起業時の年齢 66歳
業務内容 ペット可マンションの売買・仲介、ペット可賃貸不動産の仲介等
本社 川崎市多摩区登戸2559-10
HP http://www.wannyanchintaibaibai.jp/
松村弘さん

二つの事業が重なる喜び
「ペットと不動産」で勝負

2011年12月、登戸駅からほど近い立地で、不動産会社「㈱わんにゃんサポート」を起業した。その名の通り力を入れるのは、ペット可マンションの売買仲介やペット可賃貸不動産の仲介。14年3月には同じ場所にトリミングショップ「わんわんサロン登戸店」もオープンさせ、2店舗を経営している。

不動産業とペット関連業務。異なる2種類の事業を行うと決めたのには理由がある。一つ目は不動産畑を30年以上歩んできた経験から、生き残るには、他社と差別化する必要があると感じていたこと。二つ目は、ペット可分譲マンションの管理運営サポートを行った経験があったこと。三つ目は信頼する人から、「不動産だけではなく、ペットとの共生についても詳しい人はなかなかいない。得意分野をいかすべき」とアドバイスを受けたことだ。

長年歩んだ不動産業界。宅地建物取引主任者、管理業務主任者、マンション管理士など、さまざまな資格を持つ。ペット可分譲マンションの管理運営サポートでは、ペットに対する苦情対応にも奔走した。飼養マナーを入居者に教えたり、「しつけセミナー」などを企画したりと、「ペットと住まい」に関する経験は豊富。サロンの開業では「二級愛玩動物飼養管理士」の免許を取得し、改めて正しい飼い方、動物関係の法令、動物愛護の精神などを学んだ。

異なる事業がつながる
手ごたえを実感

店の周辺はトリミングを行うサロンが多い競合地域。それゆえ、「オープン当初は苦戦を強いられた」という。それでも、丁寧な仕上がりを第一とし、少しずつ会員が増えるにつれ、ペットと住まいの相談を受ける機会が増加。異なる2つの事業がプラスにリンクし出した手ごたえを今まさに感じている。

次なる一手として構想するのは、「ドッグカフェ」の出店。「内容はね」と話す表情は笑顔だ。「今は目標に向かって進んでいくことがなにより楽しみです。皆で知恵を出し合っている時、起業して生きる喜びが数倍になったと感じるんです」

オリジナルパンの製造、販売

ちょっぴり

高村 秀子さん

1965年、川崎市中原区生まれ。高校卒業後、食品会社に就職。結婚、出産を機に退職した後、化粧品会社などの訪問販売を経て、大手パン屋のアルバイトスタッフに。その後、個人店のパン屋に3年勤め、2016年に独立した。

起業 2016年
起業時の年齢 51歳
業務内容 オリジナルパンの製造、販売
本社 川崎市中原区新城3-15-8
電話 044-766-9223
高村秀子さん
かわいらしい店内

パンは柔らかく「ちょっぴり」サイズ
シニアにも優しくをこだわりに

武蔵新城駅近くの商店街の路地を入ったところにある小さなパン屋「ちょっぴり」。2016年2月にオープンした。販売するパンの種類は200種類以上ある。「店のモットーはお客様のわがままを叶えるパン屋。お客様が考案したアイデアパンも販売している」と笑顔で話す。中でも2種類のパンを自由に組み合わせる「スペシャルハーモニー」は人気ナンバーワンだ。1つ50円の小さなメロンパンやクリームパン、紫芋のパンが可愛らしく並ぶ。普通の大きさもあるが、共通しているのは「やわらかいパン」。

ちっちゃなパンを作るきっかけは年老いてきた母の「どこのパン屋もパンが大きくて食べきれない」という言葉から。そして歯が弱ったシニアに「優しいパン」は「やわらかいパン」。だから、お年よりだけでなく幼児にも人気があるという。

パン作りのノウハウは、16年間に及んだ大手パン屋のアルバイト経験で得た。元々接客が好きで始めたことだったが、パン作りの腕も十分に磨けた。

「もっと自由に、お客様に喜んでもらいたい」と思い、町の小さなパン屋へ転職。そこから開業への思いがますます膨れあがっていった。いよいよ準備開始。店名「ちょっぴり」は夫が命名したそうだ。

経営の強みは家族の支え

平均売上げは一日1万円程度。「雨の日なんかはお客さんがひとりも来ないことも」と経営の厳しさを肌で実感。そんな時の強みは家族。勤め人の夫は毎朝店舗の掃除、母はチラシ配り。店は息子と二人三脚。「将来的には息子と娘で2号店」が夢という。生まれも育ちも中原区。商店街の店主である同級生たちが頼もしい。スナックで会った人が夜遅くにどっさりパンを買ってくれたり、とにかく人に恵まれている。

今の目標は「予約で半分の売上が確保できるパン屋」だという。「パンのケーキ」など、創作意欲も満々。「とにかくこの仕事が楽しい。生きている実感がある」と。小さな厨房と店内を動き回る姿は、充実感に満ちている。

かわいらしい店内

趣味を活かしたアンティーク店を経営

アンティーク彦根

脇坂 邦彦さん

1952年、滋賀県生まれ。現役当時は大手ビール会社で監査業務等を担当し、定年退職とほぼ同時に起業。40代の頃から趣味で収集を続けてきたガラス製品を中心に海外陶器、絵画リトグラフ等を取扱う「アンティーク彦根」を開店した。

起業 2012年
起業時の年齢 60歳
業務内容 小売業(古美術品販売)
本社 川崎市麻生区白山4-1-3-8
HP http://www.antique-hikone.com/
脇坂邦彦さん
店舗の前で彦根市のマスコットひこにゃんと笑顔

40代からの趣味を生かした
アンティーク専門店

大手ビール会社の定年退職が視野に入ってきた頃から、母親の介護のため月2回程度、滋賀県彦根市に帰省している。「定年後は親の介護のためになるべくフリーな時間を確保したい」と考え、40代からの趣味だった「ブランドガラス製品等の収集」を活かしたアンティークショップ店の経営を思い立った。業界の先輩からのアドバイスなどで、古美術品商は「家賃」が経営を圧迫するケースが多い事を知り、店舗購入を決定。物件調査に定年間際の2年を費やすなど入念に準備を重ねた。川崎市麻生区にある商店街の一角の現店舗は退職金を投じ2千万円弱で購入。定年とほぼ同時に起業家デビューを果たした。

初期プロモーションで
常連客を獲得

店内にはサラリーマン時代からコツコツと集めてきたコレクションが並ぶ。ガラス製品や海外陶器、絵画リトグラフなど約3千点。1カ月の新規来店者数は平均5人ほど。「しっかり店舗を構えているところで購入した骨董品は、お客さまからの信用度が違うんですよ」と笑顔で話す。事実、売ったら終わりの商売ではなくアフターサービス等に力を入れた結果、常連客が増え初年度の年商目標(300万円)をクリア。その後も年商5〜600万円を維持している。

最近では取扱いアイテムを紹介するブログを開設。新たな販路拡充にも力を入れる中、開店当初より行っているのが月に1回都内で開かれる「骨董市への出品」。ブースに並べたアイテムに興味を持った人に店舗の存在をアピールし、来店を呼び掛ける。後の常連客定着に向けた初期プロモーションとして、ずっと機能している。「商売が成り立たない(利益が出ない)起業は絶対に行わない」と自らに課した起業。物件調査や経営方針策定、プロモーションといった事前の計画が奏功し、店舗は順風満帆だ。「体力が持つ限りこの商売を続けていきたいですね」と、将来の展望を話す声も明るい。

店舗の前で彦根市のマスコットひこにゃんと笑顔

県央地区

建設リフォームでシニア世代へ仕事提供

NPO法人千代田・建設リフォーム協力会

田口 次郎 さん

1929年群馬県生まれ。17歳で上京する。早稲田大学理工学部並びに商学部で学ぶ。一級建築士免許を取得。70代半ばまで一貫して建設業で汗を流す。2015年4月、同法人設立。

起業 2015年
起業時の年齢 86歳
業務内容 シニア層への仕事の提供を目的としたNPO法人
本社 相模原市中央区千代田2-8-6
電話 042-752-4941
田口次郎さん
メンバーで植木の剪定を行った

働きたい思いに応える
87歳 現役「リフォーム職人」

建設業界で積み重ねた知見を生かして、「高齢者が活躍できる場所を増やしたい」と、86歳だった2015年4月、シニア層への仕事の提供を目的とした「NPO法人千代田・建設リフォーム協力会」を立ち上げた。業務内容は日曜大工程度のものから、数日の工期を要する工事まで大小さまざま。現在、役員を含めた14人の会員全員が60歳以上。職人畑を歩んできた人もいれば、全くの未経験者もいる。「経験者だって、しばらく現役を離れていれば腕が鈍りますから、ぼくは誰に対しても一から指導しています」と話す。何よりも重要なのは「『働きたい』というやる気」だときっぱり。「現場に入るとついつい熱くなってしまう」と頭をかいた。

取扱額UPにやりがい
後継者育成にも全力

10代半ばで大工の見習いとなった。仕事の傍ら猛勉強し、早稲田大学理工学部に進学。働きながら勉学に励み、一級建築士の免許を取得する。編入した商学部では「経営」を学ぶ。この時の知識は、協会を運営する今まさに役立っている。70歳半ばまで建設業で汗を流した。その後は、相模原市シルバー人材センターなど地域の活動に力を注いだ。そこで働く意欲のある多くの仲間と出会い、協会設立の原動力となった。

法人設立に向けた定款作りでは、相模原市役所の担当者と何度も協議。「市役所に100回以上通ったんじゃないかな」と振り返る。NPO法人は特定非営利活動が主たる目的だが、一部収益事業もできる規定が盛り込まれた。昨年、初年度の取扱額は約150万円、今年度は250万円を目指している。取扱額の増加は、会員のやる気にもつながっているという。会員の士気が高まる一方、自身が高齢である点はどうしても頭をよぎる。「いつ何があるか分からないからね」。だからこそ、後継者の育成にも全力を注ぐ。「(90歳となる)あと3年は続けたい。休んでる暇なんてないよ」と笑い飛ばした。

田口さん
メンバーで植木の剪定を行った

葬送の今を正しく伝える

ウェル・しおん

中村 清貴 さん

1952年東京都生まれ。大手葬儀社を定年退職後、相模原市中央区に同事務所を設立。1級葬祭ディレクター。相模原安全運転管理者会の事務局長も務める。

起業 2014年
起業時の年齢 61歳
業務内容 葬送コーディネート事業
本社 相模原市中央区中央3-7-9-403
HP http://www.wel-shion.com/
中村清貴さん

葬送の今を正しく伝える
誰もが安心の老後を

生前のうちに葬儀や墓などを決める「終活」がブームとなる中、「誰もが自身や家族にあった葬送スタイルを選択できるようになって欲しい」という思いを胸に、シニア起業を成し遂げた人がいる。起業準備期から現在までを追った。

あの日感じた無力さ
小さな葬儀の受け皿に

2014年3月、相模原市中央区に葬送セミナーや事前相談などを行う「ウェル・しおん」(葬送の今を考える会)が開所した。代表を務める中村清貴さんは、定年退職まで、一級葬祭ディレクターとして大手葬儀社に勤務した経歴を持つ。大手葬儀社時代は、人生最後のセレモニーをプロデュースすることにやりがいを感じていた一方、経済的に苦しい人から「費用が高くて葬儀を行うのが難しい」という相談を受けた際には、希望に適うプランを提示できずに無力さを感じた。費用内訳が不明瞭な業者が多くいる葬儀業界にも疑問を抱いた。

定年まで残り5年となった頃から、葬儀に関する資料やデータを収集し独自に現代の葬送の分析を始める。自身の経験を最大限に生かし、「今求められている事業は何か」を模索。現代は、会葬者の数が多い葬儀と、身内だけの小さな葬式に2極化しているという現状に着目する。結果、「葬儀に高額な費用を『かけられない』、または『かけたくない』という人たちのニーズに応えたい」という思いが強まった。

事業計画の軸にしたのは、「葬送セミナー」の開催と通夜や告別式を行わない13万円の「火葬のみ」プランの販売。葬送セミナーでは、自身がこれまで経験したことを包み隠さずに伝えることを第一に置き、葬送の基本から業界裏話まで学べる内容とした。低価格の火葬のみプランについては、「適正粗利=適正価格」をモットーに、人件費をはじめ料金の内訳を明示するなど、葬儀代金の透明化にこだわった。

貯蓄を食いつぶす日々
救われた起業相談

不安なことが多かった初めての起業。そこで、自身が暮らす相模原市にある(公財)相模原市産業振興財団が主催する「起業支援セミナー」に出席し、財務に関するアドバイスを受ける。実務的な助言以上に「通ってよかった」と感じたのは、起業をする上での心構えや地域の役に立つことの重要性に気付かされたこと。起業という同じ志を持つ人々と出会えたことも財産となった。

そして退職から8カ月後、いよいよその時を迎える。個人事業主として同事務所を起業したのだ。豊富な経験と知識に裏打ちされた事業内容。順風満帆な船出に思えた。しかし、初年度から大きな壁にぶつかる。収益となる火葬プランの申込が一向に無く、起業資金はすぐに底をつき、貯蓄を食いつぶす日々が続いたのだ。起業から一年が経過しても、状況は改善されないまま。「このままでは、資金が枯渇する」。藁にもすがる思いで、相談したのが中小企業の経営支援を行う(公財)神奈川産業振興センター(通称=KIP)だった。事業の概要や収支状況を伝えると、当時の事務所の家賃が高く、それが経営を圧迫していることを指摘された。ほかにも様々なアドバイスを受ける。「細かなことまで親身になって相談に乗ってくれて本当にありがたかった」と振り返る。その帰り道、すぐに不動産会社に立ち寄り、事務所移転の手続きをとった。

この日を契機に財務状況を見直すと、今まで地道に行ってきた無料セミナーや地域新聞への広告掲載の効果が少しずつ出始める。地元での認知度は徐々に向上。火葬のみプランの受注件数も、年々増加している。

「『中村さんだから安心して頼めました』と言われると嬉しくてね」

起業の一歩は地域貢献
理想の事業展開へ全力

自身と同様にシニア起業を考えているが何をしたら良いのか分からないという人には、「地域社会と積極的につながって欲しい」と呼びかける。「私も長く交通安全に関するボランティアをやっていますが、そこから地域に貢献する喜びを知り、仲間と出会い、交流を通して、今何が求められているのかという起業のヒントも得られました。まずは外に出て人と交流することが第一歩です」

中村さんが描く理想の未来は、経済的に余裕のある人もそうでない人も、安心して老後を送れる未来。「現在は相模原市内の生活弱者の方々を中心に事業展開をしています。しかし、将来は後継者を育成し、近隣市町村の方々、さらには県内全ての生活弱者の方々を対象に事業を展開して行きたい」と意気込む。「今は起業して本当に良かったと思う」とほほ笑んだ。

セミナー

縄文人の主食でアイデア食品開発

どんぐり未来工房

平賀 国雄さん

1929年、横浜市生まれ。定時制高校卒業後、米軍基地内の自動車修理工場や金融機関勤務などを経て無農薬野菜を手掛ける農業家へと転身。自然素材の研究課程で「どんぐり」に着目し、開発拠点となる工房開設を以て、起業を果たした。

起業 2014年
起業時の年齢 84歳
業務内容 食品開発、加工・製造
本社 座間市入谷4-3000-19
HP http://don888.jimdo.com/
平賀国雄さん

どんぐりの栄養価に着目
食品開発に熱中

高度経済成長の代償として「公害」が社会問題化していた1975年頃「環境に役立つ仕事がしたい」と思い、金融機関を退社。海老名市内の自宅そばに借りた畑で無農薬野菜作りを始めた。繊維利用を目的として栽培される「ケナフ」や「竹」などといった自然素材の研究にも力を注ぎ、その効能や新たな可能性を追求してきた。

元々、好奇心旺盛で没頭しやすい性分だけに、こうした研究課程の一環で「どんぐり」に着目。その成分の素晴らしさに〝一目ぼれ〟した。特にその栄養価の高さは、縄文人が主食にしていたといわれる程。「ビタミンCの含有量ではレモンにも引けをとらない。味に癖が少なく、食材として利用の幅が広いのも魅力ですよ」と笑顔で説明する。一方、せっかく実をつけても、大半が廃棄されているどんぐりの現状を嘆く。「うまく普及すれば、輸入頼りの日本の食糧事情も改善されるかもしれない」と、無限の可能性を感じている。

80歳で迎えた試行錯誤の日々

「どんぐり」の製粉技術の確立から食品開発に必要な企業との提携等に至るまで、ちょうど80歳を迎えた頃、試行錯誤の日々はピークを迎えた。クッキーや煎餅を皮切りに、ラーメン、パスタ、ピザなど、これまで世に送り出してきた「食品」は数知れず。2012年には、障がい者の自立支援をめざし、どんぐり料理を提供する施設の立ち上げに参画。翌年には「大衆のノーベル賞」と呼ばれる「東久邇宮(ひがしくにのみや)記念賞」も受賞。エレキテル等で有名な平賀源内の子孫ではないが、いつしか周囲からは「どんぐり源さん」と呼ばれるようになっていた。

念願叶い開設した工房は20平方メートルほどのマンションの一室。35万円の起業資金は、WEB上での活動PRに共感したサポーターから出資を募る「クラウドファンディング」で調達した。

「いくつになっても生産性のある仕事で社会貢献したい」。どんぐりを砕くハンマーを相棒に、商品開発の日々が続く。

ライダーズカフェを経営

カフェ「鐵馬舍」

大森 克次 さん

1964年、千葉生まれ。日本料理店の板前をしていた。ハーレーに憧れていた。トラックドライバー、倉庫管理などの職を経て、2016年3月、厚木市の荻野にある古民家にカフェ「鐵馬舍」をオープン。

起業 2016年
起業時の年齢 52歳
業務内容 カフェの経営
本社 厚木市上荻野1859番地
電話 046-281-8911
大森克次 さん

築250年の古民家をリノベーション
夫婦の夢〝ライダーズカフェ〟

厚木市荻野は江戸時代に居を構えた大名大久保氏の荻野山中藩で知られる所。陣屋跡もあり火縄銃や甲冑隊保存の文化もある。近くには昔をそのまま残した古民家資料館「岸邸」がある。

「古民家の売り物件が厚木の荻野にある」との不動産情報が入った。厚木は妻の出身地だが、別に古民家でなくとも、と思いつつ物件を見に行った。200坪の土地に46坪の築250年の家。ツーリングバイクが店の前に並び...、イメージと合致した。2015年9月に購入、住居兼店舗用に改造。費用総額4000万円余。16年3月に開業した。

店の名前は「鐵馬舍(てつばしゃ)」に。夫婦の愛車のハーレーから名付けた。店内のハーレー置場は、まさに馬小屋だったところ、と語る様子は幸せそうだ。

生まれも育ちも千葉県。日本料理の板前として働き、その後人生をリセット。様々な職についた。やがて少年時代からの憧れだったハーレーダビッドソンを手に入れた。「いつか自分のカフェを。自慢のハーレーをピッカピカにし、全てをハーレー一色に...」との夢を胸に抱いていた。

人生は異なもの味なもの。ツーリングを楽しむようになった5年前のある日、仲間の一人の女性に出会う。女神が働いた。二人の距離は徐々に縮み、分かったことがお互いの「夢」が全く同じ。いつかを夢見て読んだ本まで同じだった。かくして「二人のハーレーカフェ」の準備は始まる。

車庫には66年製アメ車マスタング。メニューは和食やスウィーツ、珈琲など。そば打ち、パン作りは教室に通った。ケーキは奥様の手製だ。

「ローンが返せて食べていければ」と話すが、開店以来、来店客ゼロの日は一度もない。レトロな雰囲気が評判を呼び週末はツーリング客らで賑わう。シャイな性格だが板前修業の経験から「お客様がお帰りになる時、必ず目を見て挨拶することを心がけています」という。「二人だからできたと心底思う」と、夫婦目を合わせる姿が微笑ましい。

防災関連機器の研究・開発

株式会社イ・エム・テクノ

遠藤 郷平 さん

1940年香川県生まれ。日本大学理工学部入学を機に上京。複数の企業でシステム開発や研究職に従事。2006年に有限会社イ・エム・テクノ設立。2007年、増資に伴い株式会社イ・エム・テクノに組織変更。

起業 2006年
起業時の年齢 65歳
業務内容 自然災害を防ぐためのセンサーといった電子機器の製造とシステム開発、構築
本社 伊勢原市鈴川17
HP http://www.em-techno.com/
遠藤郷平さん
地すべり・地盤崩落・建築物崩壊検知システム機器

地すべりを高感度測定
センサー技術で日本を救う

上京してから、設備用水晶式親子時計の研究開発や、公営競技用電光表示盤の設計など、長きにわたって技術畑を歩んできた。3社目となる会社で取締役技術部長となり、様々な製造開発に携わる。中でも自身が注力したのは、防災関連機器の研究だ。土石流発生を早期に予測するため、音響を感知しアラートを出す土石流センサーなどを商品化させた。65歳で役員定年。退社後、銀行のすすめもあり起業を決意。「これまで手掛けてきた技術のほとんどは企業のもの。技術者としてはそれを手元に残したかった」と、燻っていた想いが再燃する。

「やるなら世の中の役に立つことをやりたかった」と話す。当時、日本のあちこちで「地すべり」が起きていたことを受け、自然災害発生の早期予測を可能にする商品の実用化を目指した。そうして、2006年に「イ・エム・テクノ」は誕生した。

10年我慢で形に
生涯現役誓う

大手の傘下に入らず独自の技術で走り出した同社。可能な限り公的機関の支援を利用したのは「今までのコネで仕事を得ると、いずれ衰退していく」という危機感からだ。厚木市のインキュベーションを利用し、そこで「地すべり検知器」を開発。低コストで簡単に設置でき、地盤のわずかな動きも高感度で測定可能にした。

記憶に新しい箱根山大涌谷の火口周辺警報。火山対応ロボットの開発プロジェクトにおいて同社の「地すべり警報システム」が採用された。これは作業員の安全を確保するための感知センサーで、感度や強度が求められた。「現場のニーズに応えることができた。試作から10年。我慢がようやく形になった」

今後の展望は一般家庭や施設への実用化。危険を感知すると携帯電話に通知が届くような構想はあるが、誰が管理するかといった課題もある。「理解者と健康な体があれば、良い仕事はいつまでもできる」。ぶれない技術屋魂で生涯現役を誓った。

地すべり・地盤崩落・建築物崩壊検知システム機器

横須賀三浦地区

元自衛官が運営するスポーツジム

Personal training GYM & Studio Body Shape

峰 哲幸 さん

1959年愛媛県生まれ。1976年自衛隊入隊。2013年定年退職。大手スポーツジムと契約しコーチとして従事する。2016年に自身のジムを起業。パーソナルトレーニングやファスティング(断食)など指導にあたる。

起業 2016年1月
起業時の年齢 57歳
業務内容 ダイエット、肉体改造、競技力の向上、介護予防etc
本社 横須賀市金谷3-4-9 山喜ビル1F
HP http://www.box46.jp
峰 哲幸さん

「地域の人々の健康寿命延ばしたい」
元自衛官、スポーツジムに挑む


2016年1月、ダイエット指導や肉体改造、介護予防などを行うスポーツジム「ボディシェイプ」を開業した。30坪ほどのフロアには各種トレーニング器具が並ぶ。「地域の人々の健康寿命を延ばしたい」。そんな思いを胸に抱く。

大学進学予定を大幅変更し、両親の勧めで自衛隊に入隊。「空」を志願したが海上でも空を飛ぶことがあると「海」に配属された。自衛隊はいわば体を鍛えるのが仕事。自称アスリート、〝筋トレの鬼〟にはうってつけの職場だった。日本各地を転勤し、多くのスポーツに挑戦。サーフィンのメッカ湘南に憧れ、横須賀勤務を希望した。ウィンドサーフィン、サーフジェットでその名を馳せた。途中、職務で舞鶴勤務になり、その時はハーフパイプにのめり込む。全日本スノーボード選手権で2度優勝している。「運動に関して、自分にできないことは許せない」と胸を張る。

「体を鍛える」テーマに起業
夢は運動通じた地域貢献

自衛隊の「定年」は54歳と早い。銃を持って走る限界年齢なのだそうだ。40代後半、将来は「体を鍛える」をテーマに起業することを心に決め、トレーナーの資格を取得した。

定年退職後、スキルを学ぶために大手スポーツジムと契約し現場力を身につけた。何より苦労したのが「笑顔」。35年以上、人に歯を見せてはならぬ職業から、180度転換してサービス業への転身。日々、鏡の中の自分と対話した。もう一つは、若いトレーナーが多い中での売り込み。チラシやホームページ作成、SNSなど、パソコンによる作業に四苦八苦した。そして横須賀商工会議所の起業セミナーなどに参加し、独立起業の準備。資金300万円は国民金融公庫を利用した。

ジムでは個別指導に加えグループトレーニングにも力を入れる。「地域の方同士で交流してほしい」との狙いからだ。夢は運動を通し活気ある街づくりに貢献すること。「地元出身のアスリートを増やせたら最高ですね」と目を輝かせた。

峰哲幸さん

外国人向けバイクツーリングの企画

FUN RIDE JAPAN(ファンライドジャパン)

松林 由紀子 さん

1953年大阪府生まれ。21歳で横浜に移り、客室乗務員に。結婚、出産を経て三浦郡葉山町へ。2010年に退職。35年間、国際線のCAを務めた経験から、外国人観光客の向けバイクツーリング専門旅行業をスタート。

起業 2015年
起業時の年齢 61歳
業務内容 訪日外国人のためにツーリングの企画、プランニング、ガイド、アテンドなどを行う旅行業
本社 三浦郡葉山町一色1025-7
HP http://www.funridejapan.com/
松林由紀子さん
愛車のハーレーにまたがる松林さん

元CAがもてなす、外国人観光客向け
バイクツーリングサービス

国際線の客室乗務員(CA)として数多く海外のフライトを経験してきた。20歳頃からバイクに憧れを抱いていたが、職業柄控えてきた。50代半ばでようやく大型バイクの免許を取得。退職してから愛車で日本中を走り回り、自国の魅力を再発見していく。そこで芽生えた感情が「このまま歳をとっていくことが自分にとって良いのか」と「この日本の素晴らしさを海外に発信していきたい」というものだった。CA時代に磨いた英会話と接客技術。そして好きなバイク。起業セミナーを受講するなどして、事業化構想を具体化させていった。

外国人観光客向けのバイクツーリングに特化した旅行サービスは、国内でほぼ皆無だという。出発前のブリーフィングから、交わす誓約書や集客ツールまで手探りの中、自分で作り上げてきた。また、バイクのレンタル代や備品代、高速道路代など出費もかさむ。「利益率は低いし、旅行業は縛りがある。やらなきゃいけないことはたくさんある」と嘆くが、充足感に満ちた表情をみせる。

インバウンド客誘致で
地方活性化を目指す

まだまだ裾野が広がっていないバイクツーリングという形の旅行業。大手旅行代理店にはない希少性を武器にしていく。「行き慣れた土地の神奈川県を筆頭に、バイクの特性を生かしたプランで感動を与えたい」と話す。例えば、お台場から出発し、三浦半島でマグロをつついた後、R134を通って江の島へ、西湘バイパスで小田原城を経由し伊豆に向かうといった具合だ。

コンタクトしているのは欧米各国の富裕層。クライアントとのメールのやり取りは10回ほど、綿密に行い希望をすり合わせていく。今後は海外のバイク展示会などで人脈を広げていき、営業面を強化していく狙い。「このサービスはまさにこれからテイクオフ。日本に来た海外の方に、I had a good experience.(良い経験をさせてもらった)と言ってもらえるように」

松林さん
愛車のハーレーにまたがる松林さん

湘南地区

コーヒーの挽き売りと卸販売

いつか珈琲屋

加藤 日出夫さん

1951年、東京都生まれ。機械を輸入し国内企業に販売する商社で営業職を務めた。子どものころから無類のコーヒー好き。店名の通り「いつか珈琲屋を」と起業資金を蓄積し、空いた時間で研究と店歩きを積み重ねた。知識と味覚をもとにコーヒー豆専門店を開業。

起業 2004年
起業時の年齢 51歳
業務内容 コーヒー豆卸し・販売
本社 平塚市河内320-3
電話 0463-37-3477
加藤 日出夫さん

「コーヒー文化を1000年先にもつなげたい」

周囲に漂う芳しい香り。その店は住宅街にひっそり佇む。店内には焙煎設備を併設。コーヒーの挽き売りと卸販売を行う。年に数回は海外へ産地視察や買い付けに。世界の厳選豆を仕入れている。

中学生の頃、受験勉強の合間のコーヒータイムが何よりの楽しみだった。「大好きなコーヒーをとことん知り尽くしたい」。探究が始まる。本を読み漁り、店を巡り店主と会話した。舌は肥え、知識は膨らむ。訪れた店で味を否定し、口論になることもしばしば。45歳を過ぎた頃、訪ねたコーヒー店でいつものように議論になった。その時店主に言われた言葉が起業のきっかけだ。「評論するだけではフェアではない」。「そうか」と思った。焙煎機を買い自宅で豆を炒りはじめた。週末は近所の人を招きオープンカフェを開いた。炒れば炒るほど面白い。店を出そうと決意した。

今やコーヒー通に広く知られる名店だが、開業3年間は赤字が続いた。元々は海外から機械を輸入し国内企業に販売する商社の営業マン。小売り経験は皆無。「良い商品を提供すれば売れる」という感覚が邪魔をした。独りよがりだと周囲の言葉で気づかされた。「まずは多くの人に知って(飲んで)もらうこと。そして一番売れる商品をもっと売れるようにすること」。店のこだわりを綴ったパンフレットを作成、ワークショップやイベントを開催しファンが増えた。「お客様、家族、友人...、多くの人に支えられた。起業して一番良かったのは、感謝の気持ちやありがとうの言葉が実感できること」と話す。

現在は若手ロースター(焙煎士)の育成にも力を注ぐ。店で腕を磨いてきた弟子が先ごろ、国内大会で優勝、ロースター日本一に輝いた。「いつか珈琲屋」という店名には自身の夢を込めたが、今は「いつか」を夢見る者の思いも投影する。

全国のロースターが集う大会を湘南で、2020年には国際大会を、と夢は広がる。「人類がコーヒーを飲み始めたのは千年前。千年先もコーヒー文化が息づくよう、珈琲に携わる者として今できることをしていきたい」と思いは壮大だ。

「たたみいわしの燻製」で起業

湘南いぶし

杉岡 巖さん

1943年、平塚市生まれ。映像プロダクション会社を営み企業CM等を手掛ける傍ら、仕事の合間に趣味で始めた燻製作りに没頭。「たたみいわし」の燻製がコンクールで「湘南ひらつか推奨品」に選出されたのを機に、新たな起業を果たす。

起業 2003年
起業時の年齢 61歳
業務内容 魚介類加工業
本社 平塚市四ノ宮3-19-11
HP http://www.e-shonanibushi.com/
杉岡巖さん
取り扱い商品は10品目を超える

人生の転機となった
たたみいわしとの出会い

大学卒業後、映像制作会社に就職し1988年に独立。映像プロダクション会社を立ち上げた。企業CMや環境ビデオの制作に携わる忙しい仕事の合間に趣味として始めたのが「燻製作り」。自宅の庭に建てた小さな工房で様々な食材を煙で燻し、試食を繰り返す日々の末、地元名産品の一つ「たたみいわし」に巡り合った。

生まれ育った平塚で、趣味のヨット仲間の勧めもあり、この「たたみいわしの燻製」をコンクールに出品したところ「湘南ひらつか名産品選定委員会推奨品」に選出された。自作の燻製が評価されたことを機に2003年、61歳にして本格的な工房「湘南いぶし がんさんの燻製工房」をオープンした。以来、映像会社は開店休業状態のまま、燻製作りを生業とする日々を過ごしている。

人生の転機となった「たたみいわしの燻製」。年々販路を拡充しており、市民プラザや一部JA即売所などに卸しているほか、ネット通販サイトや大手デパートで行われている物産市などでも目玉商品に挙げられる人気商品に成長した。

新たな食材による
商品開発にも精力的

たたみいわし以外にも「さば」や「ししゃも」など、取り扱い商品は10品目を超える。最近では平塚市漁業協同組合とタッグを組み、鮮度やサイズの問題で市場価値が低かった「シイラ」の燻製作りにも成功。地元土産として流通させるなど、新商品開発にも力を入れる。

「手づくり」にこだわり、すべての作業を息子と二人三脚で行ってきた。将来的には作業の効率化や商品の安定供給に向け工房の移転なども視野に入れてはいるが、勢い任せの事業拡大は考えていない。これから起業を考えている人に対しても「あまり背伸びしないで」と呼び掛け、リスクを抱え過ぎない小規模なスタートをすすめる。「シニア層の皆さんは、これまでの人生で『これ以上は無理』という一線がわかるはず。自分でできる範疇で頑張ってもらえれば」とエールを送った。

取り扱い商品は10品目を超える

ペルシャ絨毯等の販売

ペルシャ絨毯サラーム

西海 哲造さん

兵庫県生まれ。23歳で株式会社神戸製鋼に入社し、横浜の独身寮へ。主に海外営業、海外事務所勤務等を経験。ドバイへ駐在した際に、イラン製のペルシャ絨毯に感銘を受けた。退職後、59歳でペルシャ絨毯屋サラームをオープン。

起業 2013年
起業時の年齢 59歳
業務内容 ペルシャ絨毯、イラン特産品の販売
本社 鎌倉市大船1-15-5
HP http://salaam-carpet.com
西海哲造さん

実用と芸術の狭間
ペルシャ絨毯に魅せられて

ペルシャ絨毯に魅せられたのは、サラリーマン時代。各地への海外赴任の中、2008年〜12年のドバイ駐在時だ。たまたま休みの日に先輩に連れられてシャルジャのブルースークという市場へ。シャルジャはドバイやアブダビなどとアラブ首長国連邦(UAE)を構成する首長国の一つ。市場の2階はすべてが絨毯屋。「手織りのペルシャ絨毯は、産地により織り、色彩、デザインの違う摩訶不思議な世界。一つ一つが人の手によって織られた、奥深く美しいものだと感じた」と熱く熱く話す。以後休みの度の絨毯屋めぐりが始まった。

趣味の延長として、UAEからイランまで足を延ばしペルシャ絨毯のコレクションに没頭した。そして日本に一時帰国すると、国内のペルシャ絨毯店をいくつか訪問。「もしかしたら自分にも絨毯屋ができるかもれない」と思うようになった。

「自分の店」を意識するようになってから、実は日本では伝統柄のペルシャ絨毯よりギャッベ(遊牧民の毛織絨毯)のほうが人気で売れ筋との情報を得た。海外駐在が終わり日本に帰国して、一年後に絨毯屋をオープンしようと会社勤務の傍ら、準備を始めた。開店前には集中的にギャッベを買い入れた。

経営難、それでも信念をもって

13年、大船駅近くに空店舗を見つけた。きれいな状態だったのでそのまま使用した。約30坪の店内にはギャッペを含め約300本のペルシャ絨毯が並ぶ。玄関用の小ぶりな絨毯2万円以下から、部屋を敷き詰めるサイズまで色々。中には100万円近い高級絨毯も。良心的な価格にも自信あり。チラシやホームページも自身で作成。ブログ「絨毯屋親父日記」も公開している。

「経営者は自分で決められる、決めなきゃいけない。絨毯屋はひまそうでいい、と思ったが、売る立場だと違う。当初の売上予想を大幅に下回り、来客ゼロの日も」と厳しい現実を実感している。が、本物のペルシャ絨毯の良さを理解してくれる人はきっといると信じている。

ワゴン車でコーヒーの販売

珈琲屋台idobata(イドバタ)

野口 克世さん

1949年福島県生まれ。高校卒業後に上京し、様々な仕事をしながらヨーロッパ各地を放浪。1976年、書店販売員に。青山ブックセンターの創業に携わる。60歳で定年退職したのち、2013年にidobataをオープン。

起業 2013年
起業時の年齢 64歳
業務内容 民家駐車場に設置されたワゴン車でコーヒーの販売
本社 鎌倉市長谷2-14-13
HP http://www.idobata-kotsubo.net
野口 克世さん
自然と人が集まる青空カフェ

鎌倉の潮風を感じながら
本とコーヒーを楽しむ青空カフェ

鎌倉大仏の近く、江ノ電の長谷駅を出たすぐそばにある青空カフェスペース。地元の人だけでなく、観光客らも足を止めて一息ついている。

「ここは妻の実家の駐車場。この場所がなかったらオープンできなかった」とおだやかに語り、停められたワゴン車から淹れたてのコーヒーを振る舞った。

起業資金の関係で屋台形式になった同店。それがむしろ功を奏して、他店との差別化になった。オープンして3年。口コミを中心に、認知が広まっている。

コーヒーはストレート、ブレンドともに4種用意。また、提携している書店から取り寄せた歴史小説などが自由に読める。元書店スタッフならではの店づくりだ。

昔から本が好きだった。鎌倉の書店で働いたのち、都内の青山ブックセンターに入社。カフェ併設の六本木1号店の立ち上げに携わった。その時譲り受けた電動ミルでコーヒーを淹れ始め、カフェオープンの思いが強くなっていった。

コーヒーの仕入れは幼馴染のツテを使った。質の高いスペシャリティコーヒーに感銘を受け、独学で研究を開始。味の決め手は生豆にあるとし、品質に定評のある堀口珈琲を仕入れ先に選んだ。

中身はプロ、気持ちはアマチュアという気概

「書店スタッフの時は楽しかったけれど苦労もした。たくさん汗をかいた」と懐かしむ。自身がこだわったのは棚の作り方。「良い棚は生きている。客の好奇心にアンテナを張り、棚の中に書籍を通して興味を組み立てる」。こうして、本を通して客とコミュニケーションする術を学んだという。

「お客様と楽しんで一緒に作る」。idobataという店名はそんな思いからつけられた。「内容はプロと同等のサービスを提供したいと思うけれど、気持ちは良い意味でアマチュアで」と、シニア起業の秘訣を語った。

青空と本とコーヒー。心安らぐ空間をこれからも提供していく。

自然と人が集まる青空カフェ

不動産業で2度の起業

幸友ホーム株式会社

沼上 登 さん

平塚生まれ、茅ケ崎育ち。定時制の学校を卒業後、都内で商社マンに。45歳で退職し、福友産業株式会社を創業。27年間経営し、同社を後任に継承した後、74歳で幸友ホーム設立。3度目の起業も計画中。

起業 2013年
起業時の年齢 74歳
業務内容 新築請負工事、リフォーム請負工事を中心に土地仕入加工販売なども行う、不動産総合コンサルティング業
本社 藤沢市鵠沼橘1-4-14
HP http://www.ky-h.com/
沼上登さん
現場主義の沼上さん

湘南の不動産スペシャリストは
仕事歴70年

商社を退職し最初の住宅会社を起業したのは45歳のとき。ゼロからのスタートだった。道具に2千万円ほど投資し、社長自ら職人の手元を見て仕事を覚えた。27年で自社株数は当初の31倍へ成長。74歳になった時、長男に全て事業継承し、自身は新たに「幸友ホーム」を立ち上げた。

同社が掲げる家づくりの理念は「安全」。土地は永く安心できる地盤か、建物は耐震性に優れているか。この思いを大手ハウスメーカーとの差別化としている。また「顧客に100%合わせる」と話す。休日でも夜中でも、呼出しがあれば接客を行う。1棟の家を上棟させるのに60回以上の打ち合わせをしたことも。

藤沢市で30年以上、家づくりに携わってきた。これまでに新築900棟、リフォーム5200件以上を手掛けている、不動産のスペシャリストだ。サラリーマン時代から大工仕事が好きで、加工場を借りてテーブルなどを製作。通常業務でも木材や建材の流通を経験した。「サラリーマン時代の経験を生かして地元に貢献したかった。衣食住の中で、自然に住を選んだ」と最初の起業のきっかけを話す。

幼少期の苦労が
現在の緻密さを形成

徹底したリスク管理で、起業した2社ともに黒字経営を続ける。それは父親が入院し、小学2年生から納豆売りや新聞配達をするなどして、お金の大切さを理解していたからだ。「今でも現場に行って、24時間以内に、自分なりに緻密な計算をしている。このことは自慢できると思う」

幸友ホームは起業する前から既に後継者を決めていた。目標の第一段階をクリアし、徐々に事業継承を進めている。次の目標は84歳で3社目となる起業。弁護士や裁判所の橋渡しをし、取扱い物件が競売にかからないようにするサポートなどをしていくという。

「不動産に長く携わると、そういう人たちとの関わりができる。自分の持っているものをできるだけ地域に伝えていきたい」と語った。

少年時代から数えると仕事歴は約70年。大ベテランの起業家は、75歳を超えてもなお挑戦を続ける。

沼上さん
現場主義の沼上さん

愛犬と愛犬家をサポートする行政書士

行政書士やすだ法務事務所

安田 勝さん

1954年神奈川県茅ケ崎市で生まれる。大学卒業後、日経グループの広告代理店および関連会社の住宅展示場企画運営会社に勤務。役員を経て、2015年3月に退職。2015年10月、行政書士やすだ法務事務所を開設。

起業 2015年
起業時の年齢 60歳
業務内容 遺言、相続、内容証明、契約書、会社設立等のサポート
本社 茅ヶ崎市甘沼120
HP http://doglife-yasuda-office.com/
安田勝さん
月1回開催されるセミナー風景

ペット信託の普及促進
愛犬と愛犬家の暮らし守る

生まれ育った茅ヶ崎で2015年10月、行政書士事務所を開設した。契約書の作成やリーガルチェック、遺言・相続の相談など、業務は多岐にわたる。その中で、特に力を入れているのが愛犬と愛犬家のサポート。飼い主が「もしもペットを飼えなくなったら」という時に備えて、「新しい飼い主」を決め、「飼育費」を用意しておくことができる仕組み=「ペット信託」をPRする。「飼い主に万が一のことがあった時、引き取り手が無いと保健所に送られてしまう。自分は、保健所などに送られるワンちゃんの数を減らしたい」と意気込む。

日経グループの広告代理店で約30年、関連会社で住宅展示場の企画運営に約10年携わり、役員を務めた後、15年に退職した。営業畑を長年歩み、顧客によい提案をするために、自分のスキルを上げることに注力した。94年には宅地建物取引士、97年には行政書士の資格を取得。いずれも当時担当する顧客へよりベストな提案をするために学んだ結果だった。

運命変えた知人との再会
毎日がワクワクドキドキ

ペット市場に着目したのは、退職する数年前に遡る。ペットとの共生住宅を調べていた際、その道の第一線で活躍する企業にたどり着き、代表者の写真を見て驚いた。かつて自分が担当していた企業の広告宣伝担当者だったのだ。すぐに電話をかけ、二十数年ぶりに再会。ペット市場がまだまだ成長産業であることを教えて貰う。定年の前年には起業塾に通い開業の準備。経済産業省の創業補助金にも応募し、高い倍率を通過し、融資も受けた。

起業について「ワクワクドキドキの世界」と表現する。一方で、「自分の発言や知識に不正確さがあると、顧客に多大な迷惑をかけてしまう」と話す。だからこそ、毎日の勉強は欠かせない。夢は生まれ育った湘南に身寄りのない犬を預かるシェルターを作ること。「介護施設も併設させ、愛犬家と愛犬がずっと一緒にいられる環境を実現させたい」と目を輝かせた。

月1回開催されるセミナー風景

資産形成などのマネーコンサルティング

元島ファイナンシャル・プランニング事務所

元島 健二さん

1948年、福岡県生まれ。中学生時に東京へ。都の職員として教育委員会に約5年在籍した後、27才でJA共済のグループ会社に入社し、ファイナンスの理解を深めた。2008年に独立。

起業 2008年
起業時の年齢 60歳
業務内容 資産形成、資産活用などのマネーコンサルティングサービス
本社 秦野市南が丘2-2-22-201
HP http://money-cg.com/
元島健二さん
自宅兼事務所で相談もできる

マネープランの司令塔
モットーは「生活者に寄り添う」

「ファイナンシャルプランナーのほとんどは、金融や保険会社の社員。買う側の立場になって手助けができれば」との思いから、定年を機に独立した。現在は、個人向けのマネーセミナーなど地道な活動を続け、200人ほどの顧客を抱えている。

起業を考えたのは、JA共済のグループ会社に在籍していた時。主に電算処理を業務としており、ファイナンスには自信があった。「当初は経営コンサルタントを目指していた。FPの勉強を始めたら、そっちの方が面白くなって」と相好を崩す。

約5年間、仕事帰りに教室に通うなどして54歳で日本FP協会のAFP検定を取得。定年間際には、上級資格であるCFP検定、国家資格の一級FP技能士にも合格した。

預金、収入、支出やその人の今後のイベントを分析することから始める。「大切なのはリスク管理。リスクを背負わないようにするには腰を落ち着けること。ゆっくり、じっくりが一番安定する」と丁寧な口調で話す。

基本は守りを固めて攻める
お金が殖える仕組みづくり

資金を増加させる仕組みをつくることがマネープランナーの仕事。注視しているのは、保険の見直しなどでまず守りを固めること。「10年先、30年先を考えた時、いずれショートする時期が来る。その時までにいかにお金を殖やすか」

また、リスクをとる投資では5つほどの商品を組み合わせて、緻密なプランニングをしていく。

ある40代の夫婦から相談があった。「母が金融機関から投資信託を勧められているが、腑に落ちない」。確認すると、その人に適したプランではなかったという。モノを売るセールスではなく、人を助けるコンサルタント精神でプランを再構築した。

今後は金融に関する教育にも取組みたいと意気込む。「お金に関することは皆警戒してしまう。特に10代の若者に、お金の運用は計画的に考えれば怖いものではないことを伝えたい」。人のためを思って出る言葉からは、信頼感が伝わってくる。

自宅兼事務所で相談もできる

マコモタケなど栽培

西方農園

西方 安雄 さん

1953年大磯町で生まれ育つ。実家は祖父の代から続く農家。大学・大学院で数学を研究。卒業後は高校の数学教師となる。両親の農業を手伝いながら働き、定年退職後、本格的に就農に従事する。

起業 2013年
起業時の年齢 60歳
業務内容 小磯米、マコモタケ、みかんの栽培
本社 中郡大磯町西小磯467
電話 090-5327-2287
西方安雄さん
収穫後のマコモタケ

第二の人生は農業
マコモタケ栽培に注力

本格的に農業を始めたのは高校教師を定年退職した2013年。祖父の代から続く農地で「米」の生産をメインに始めた。

幼少時代から両親を手伝うなど、「農業」はつねに身近だった。両親が高齢となって以降は、職場を全日制の高校から定時制に変え、昼間に手伝いができるようにした。「土地を守りたいという気持ちが以前からあった」と振り返る。役場の農業調査では、「これまでより規模を拡大したい」意向を伝えたところ驚かれた。高齢化と担い手不足が深刻な農業の世界では、「今の規模を維持することが困難」と答える農家が多く、「規模拡大」の意向を示したのは一人だけだったからだ。町が農地を無償で貸し出し、自身が希望する大きさまですぐに広がった。

販路開拓に走る日々
楽しめるから苦でない

加えて、町の農業担当者から思わぬ打診を受ける。「マコモタケ」の試験栽培を依頼されたのだ。「どんな物か知りませんでした」と笑う。イネ科マコモの根元にできる肥大した茎の部分を指すマコモタケ。中国などでは古くから食用や薬用として身近な食べ物で、中華では高級料理の素材のひとつ。町の農業委員会で大磯町の新たな特産品として売り出すことを検討しているという。「何事もチャレンジ」と思い、大磯町の農家で初めて本格的に栽培を開始した。町役場の担当者と手分けして、ゼロから販路開拓にも走り回る。地場野菜を売りにする商店では珍しがられた。淡白ながら上品な甘みがあるマコモタケは癖が無く使い勝手が良い。一度試した顧客からの評判は上々。16年にはJA全農の市場ルートでも試され、17年にはさらなる販路拡大が期待されている。

「町の特産品にするなら売れなければダメ。もっとみなに知ってもらい、生産者も増やしたい」と意気込む。決して楽ではない農業の世界。それでも「収穫の喜びがあるし、やりたくてやっている」と言い切る。「楽しめることだから続けられる。そこがポイントだね」

収穫後のマコモタケ

西湘地区

本物志向にこだわった公衆浴場業

万葉倶楽部株式会社

高橋 弘さん

1935年、静岡県熱海市生まれ。81歳。57年にアルプス写真(その後、日本ジャンボー)を起業、上場企業に育てる。97年に万葉倶楽部を起業。「万葉の湯」チェーンを全国展開する。近年では、ソーラー発電事業や有名旅館の立て直し等も担う。

起業 1997年
起業時の年齢 62歳(万葉の湯設立時)
業務内容 公衆浴場業および飲食業
本社 小田原市栄町1-14-48 ジャンボーナックビル8階
HP http://www.manyo.co.jp/
高橋弘さん

いち早く行動、いち早く実現
「誰もやらないことをやる」

都心にいながら、名湯が楽しめる温浴施設「万葉の湯」などを運営する万葉倶楽部株式会社は、創業者である高橋弘会長が62歳の時に立ち上げた。現在の年商は、グループ全体で約217億円(2015年9月期)に上る。2015年には東京都のコンペに参加し、豊洲市場に建設予定の「千客万来施設」の事業予定者としても採択された。80歳を超えて今なお「挑戦」を続ける高橋会長の半生は、起業に役立つヒントに溢れている。

名湯・湯河原の湯が気軽に楽しめる

頭取の言葉が後押し
温浴施設事業に転換

創業は1997年に遡る。それまでは、別会社で写真フィルムの現像などを行う写真DPEチェーンを経営。上場企業に育て上げるまでに成功していた。しかし、カメラのデジタル化の波が到来する。いち早く、フィルムの時代が終焉することを予感し、新たな事業を模索した。そんな時、メインバンクである静岡銀行から持ち掛けられたのが、東京都町田市にあるパチンコ店と飲食店が併設された土地の購入だった。「当時パチンコは23兆円産業と言われていた時代で、私も始めようと考えました」。ところが、プライベートでも親交があり、信頼を寄せていた同銀行元頭取・酒井次吉郎氏(故人)から、「もっと高橋さんらしい商売があるはず」とアドバイスを受けた。

「自分らしさとは何なのか」。二十歳そこそこで、アルバイトのカメラマンから写真DPEチェーンを立ち上げたとき、資金集めに苦労した。一方で、「絶対に成功する」という自信もあった。当時、写真店は受付と現像を同じ場所で行う小規模な事業者がほとんど。機械化された工場を造ることで、スピーディーで割安な対応を可能にしたのだ。結果、38年間増収増益を実現した。

「人との縁を大切にし、誰もやっていないことをいち早くやること」。自身の原点を思い出し、浮かんだのが伊豆の日帰り温泉施設が繁盛しているという話。「人口の多い都心で、同様の施設ができたら成功する。酒井さんも、今度は『面白い』という反応。すぐに決断しました」

物事の本質を見定め
いかに深く考えたか

本物志向にこだわり、施設は高級旅館のような雰囲気。温泉は名湯・湯河原の湯を源泉から運搬。健康ランドなどのスーパー銭湯とはあきらかに一線を画した。都心で名湯が楽しめるビジネススタイルは的中する。一度にたくさんの温泉を運べるよう、タンクローリーを独自に設計・改良することにも力を注いだ。温泉を運ぶことは簡単ではない。「写真の現像を行う際に得た『水』を扱う知識や経験が役立った」と振り返る。「真似をする事業者もでたが、長続きしなかった」という。「どんな事業を行うときも物事の本質を見定め、いかに深く考えたかが大切。温泉を運搬する技術はどこにも負けません」と胸を張る。

新エネ、餃子、豊洲
81歳「挑戦」は続く

高橋会長の挑戦は日帰り温浴施設事業だけに留まらない。鹿児島県阿久根市で行うソーラー発電事業は、東日本大震災後、いち早く始めた。天候等に左右されるソーラー発電。低い稼働率が課題だが、2メガ2カ所の設置で、「利益は1年で1・4億円くらいでている」と説明する。「今はソーラーより、地熱に関心があります。先日も凄い実証実験が行われてね」と目を輝かせる。経営手腕を買われ、老舗旅館の再建を相談されることも。自身で買い取った箱根湯本温泉の宿泊施設「天成園」は、赤字施設から年間で10億円以上の経常利益を出す「稼ぎ頭」へ生まれ変った。今、試行錯誤をしているのは、薬草「アマドコロ」を使用した餃子の開発。効能に惚れ込み、栽培する岐阜県の農家へ自ら飛び込み営業。生産工場とも、自ら交渉した。築地から移転予定の豊洲市場に造る「千客万来施設」には、自身がこれまで培ってきたノウハウすべてを結集させる方針だ。「商売はやるかやらないか。いくら能書きをかいてもやらなければ、損もなければ利益もない」。社員に言い聞かせているのは、時間を大切にすること。「時間は誰にも平等に与えられています。うまく使えば同じ時間でもより多くのことができる」と話す。その上で大切なのは、「人間力」だという。「働いている人たちにここで働いてよかったと思ってもらえる会社であり続けたい」。ビジネスの一線から離れ、遊んで暮らす選択肢はないのかを問うと、「人間は頭を使わなければダメになってしまう。逆に使っていれば活性化します。家にいても女房からわんこ(愛犬)の相手を頼まれるくらいだからね」と笑った。

名湯・湯河原の湯が気軽に楽しめる

自然エネルギーを利用した発電業務など

ほうとくエネルギー株式会社

蓑宮 武夫さん

1944年小田原市生まれ。大学卒業後、ソニー㈱に入社。執行役員上席常務を務めた後、2005年に退社。2006年に人材育成を行う㈲みのさんファーム設立。2012年ほうとくエネルギー㈱代表取締役社長に就任する。

起業 2012年
起業時の年齢 68歳
業務内容 自然エネルギーを利用した発電・発熱業務など
本社 小田原市浜町1丁目1-46
HP https://www.houtoku-energy.com/
蓑宮武夫さん

恩返しの心で人材育成
「シニアは無限の可能性」

ソニー㈱の元執行役員上席常務で、退職後は2006年に㈲みのさんファームを設立し、自らの経験を生かした人材育成などに力を入れる蓑宮武夫さん。ソニー時代には最大3万人の部下を率いた経験を持つ。2012年には、小田原市内を中心とする38社や市民が資金を出し合い設立したほうとくエネルギー㈱の代表取締役社長を務める。人材育成のプロであり、自身も「シニア起業家」である蓑宮さんが自らの生き方とシニアの可能性を話した。

PHP研究所から出版された著書

小田原市内で生まれ育ち、大学卒業後、ソニーに入社した。初期のトランジスタの開発・製造、ビデオ機器、パソコン機器の設計から半導体の開発まで幅広く手掛けた。パスポートサイズの「ハンディカム」やパソコン「VAIO」も担当。世界で初めてリチウムイオン電池の実用化にも成功した。新製品が出た際には、技術部門の責任者として世界各国を飛び回り、「ソニーのものづくり」を売り込んだ。「僕の周りには上司も部下も優秀な人間がたくさんいた」と振り返る。例えば、出井伸之氏のスピード、安藤国威氏の任せる力など、歴代の経営者と彼らから得た学びが次々に挙がった。

創業者が求めた龍馬
勇気、行動力、好奇心

創業者である井深大氏と盛田昭夫氏からは、「ソニーで期待される人物像は坂本龍馬」と教えられた。龍馬には「勇気」、「行動力」そして「好奇心」があった。勇気とは決して二歩、三歩と歩みを進めることではない。ゼロから始めの一歩を踏み出すこと。自身は部下に対し、「失敗を恐れずにとにかくスピーディーにやろう」と伝えてきた。「挑戦して失敗すればポテンシャルが上がる。人脈もできるし、知恵もつく。1年で1回失敗したくらいでは足りない。100回失敗したほうが良いというのがソニーの教え」と語る。

「行動力」と「好奇心」については、盛田昭夫氏がまさに体現していた。50歳でスキーを始め、55歳のときにゴルフ、60歳ではアイススケート、そして67歳でなんとスキューバダイビングにも挑戦した盛田氏。「新しいスポーツが好きだったというより、その時代の最先端のスポーツをする人の感覚を見ていたのだと思います。肌で感じセンスを磨くことで、仕事につなげていました」

地域の安全は市民で守る
自然エネルギーに挑戦

ソニーは元々社員7人から始まった零細企業。現在の規模になったのは、黎明期に様々な企業の協力があったからこそと分析する。それゆえ、ベンチャーをはじめ、経営に迷う人たちを手助けすることこそが「恩返し」と考え、ベンチャーを支援する企業の会長職や様々な企業で顧問を務めている。自身も自然エネルギーに挑戦中のベンチャー。東日本大震災で計画停電を体験したとき、「原発の安全神話は崩れた」と思った。そして、「地域の安全は市民自ら守らなければならない」と強く感じた。ほうとくエネルギー㈱は、「自分たちのできることからやろうという思いでできた会社」と説明する。自らが暮らす地域で繋がりのあった企業の経営者らが集い、1年間、自然エネルギーを勉強した上で設立した。太陽光発電が現在の事業の核で、大規模な発電設備を持つ。広域避難所に指定された学校や公共機関に太陽光パネルを設置することにも力を入れる。ほかにも地熱、バイオマスなどの研究も進める。出資した誰もが目先の利益を気にせず、長期的な視点に立って物事を考えているという。「配当はいいから、頑張ろうって言ってくれるんです」

余った生など人生にない
積極的に社会と関わる

都内に出ると80歳を超えた起業家の人ともよく名刺交換をする。88歳で起業した人にも出会った。皆はつらつとしている。「健康で元気なシニアの持つ可能性は無限大だ」と話す。お金も知識も人脈も、良い経験だってある。一方で余生という言葉は大嫌いだ。「余った生など人生にはない」と言い切る。「起業したい気持ちは多くの人が持っているのに、少しの『今さら』という気持ちが邪魔をしているのではないか」と指摘する。60歳で定年しても、人生を終えるわけではない。これだけ健康寿命が延びた昨今、90歳、100歳になったって元気かもしれない。まだ30年も40年もこの先がある。だからこそ、「積極的に社会と関わり、若い人の刺激になるべき」と呼びかける。「儲けたいだけなら別だけど、『孫の代に少しでも役立ちたい』といった気持ちで起業するなら、会社を興してすぐの苦しい時もやりがいを感じて乗り越えられる。だから迷うことはない」とエールを送る。

「人生は社会と繋がっているからこそ面白い。僕は一生行動し、やり残したことを残して死にたいね」

PHP研究所から出版された著書

足柄地区

ずらすビジネスで「農ある暮らし」

合同会社TOMIOファームユートピア

古屋 富雄さん

1952年南足柄市生まれ。日本大学農獣医学部、神奈川県立農業大学校卒。フィリピン国際稲作研究場など視察研修。昭和57年南足柄市役所入庁。「春めき(さくら)」「TOMIO-59(菊)」品種登録・育成者権者など。

起業 2016年
起業時の年齢 63歳
業務内容 農業及び関連事業
本社 南足柄市塚原3032-2
HP http://to-farmlife.com
古屋富雄さん
冬に咲くヒマワリ

地域の「農」を活発化
ずらし農業軸に市場拡大

「農ある暮らし」をメインのキャッチコピーに、合同会社TOMIOファームユートピアを設立した。起業を実現するために注力したのは農地の集積だ。借り上げや買取り。現在、野菜、花、花木など農作物の生産販売が主な事業内容。

特に企業として注目されているのは「ずらすビジネス」。農地には初冬に夏の作物の代名詞〝とうもろこし〟を収穫し、真夏の花〝向日葵〟の花が咲く。直売所には取れたての野菜が並ぶ。冬でも花材としてニーズが高いヒマワリは人気商品。

農家の次男として生まれた。30歳で南足柄市役所に就職するまで、大学で農獣医学を学び、県立農業大学校へ。農業改良普及員資格を取得し、国際稲作研究場、クラインガルテン(ドイツの農地貸借制度)などを視察研修。「農」に特化した活動をしていた。

市役所では「あしがら花紀行」「フラワーユートピア構想」「農地の社会化」「花による都市交流」「市民農業者制度」など提案・実行・施行した。二宮金次郎関連本の著者三戸岡道夫氏に「花の金次郎」と呼ばれている。

ある時、ソメイヨシノの開花に先がけて咲き、しかも香る桜を発見した。「春めき」が正式名。発見者であり名づけ親。2000年、品種登録・育成者権者、足柄シダレ(ヒノキ)の普及権者になっている。「春めき」は卒業生を送る桜として日本各地の小中学校へプレゼントされ全国で知られるようになった。13年、市役所を定年退職した。

春めきを増殖し全国に向け販売中。同時に始めたのは、地域の「農コミュニティ」づくり。フリーな立場で、香る「春めき」を全国の盲学校へプレゼントし、喜ばれている。

これからは市民農園・体験農園、農家レストラン、グリーンツーリズム、講演会やコンサートの開催、書籍・CDの販売と「人生100歳」を地で行く計画を持っている。

冬に咲くヒマワリ