東日本大震災発生直後の2011年3月22日から25日まで、約30人で構成された緊急消防援助隊の神奈川県隊長として福島県に派遣された。大規模災害現場への派遣は、自身も初めて。県隊長として「正直、不安もあったが、指揮官はそれを表に出してはいけない」と気を引き締めて臨んだ。出発時のあいさつでは「与えられたミッションを完遂すること」「全員が心身ともに無事帰ること」の2点を伝えた。
現地では消防、警察、自衛隊からなる調整本部の指示を受け、救急搬送活動を担当。津波で被災したいわき市沿岸部の病院から、内陸部の病院へと患者を搬送するため、拠点にしていた福島市の消防学校から片道約130Kmかけていわき市に通った。活動中、問題となったのが人員不足だ。福島第一原発など様々な被災地に隊員が派遣されており、通常なら同行する後方支援隊がいなかったため、食糧確保などに苦慮。また、拠点の消防学校では地震の影響でトイレが断水しており、プールから水を運ばなければならない状況だった。
現場の病院は、1階部分が全て津波で流され柱だけが残り、周囲には自動車が積み重なっていた。「津波の恐ろしさに衝撃を受けた。病院がつぶれなくて良かった」。病院の判断が早く、津波がきたときには3階に避難していたため、患者全員が無事だったという。現地の消防隊と協力し、寝たきりなど自力では行動できない37人の患者を1人ずつ、8台の救急車で搬送した。2日間かけて、無事に全患者の移動を終えた。
個々の能力向上を
派遣中は、調整本部からの指示ひとつで任務が変更される。よりチーム力が必要とされる災害現場でありながら、地元や他県の消防本部とも、初対面で共に行動しなければならない。「連携する力がとても重要だった」と振り返る。非日常の現場で、すぐに連携して活動するためには「隊員一人ひとりの能力向上が大切だと痛感」。日常訓練の重要性を再認識し、継続的に人材育成に取り組んでいる。
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