米軍機墜落事故に関する活動をまとめた「今、ハトポッポの歌が聞こえますか」を発行した 齋藤 眞弘さん 竹山在住 71歳
語り継ぐため生きる
○…「あの事故から35年が経過するけど、絶対に忘れてほしくない」と目に涙を浮かべ熱く語る。1977年9月27日、緑区荏田町(現・青葉区荏田北)に米軍ジェット機が墜落し9人の死傷者が出た。事故翌日に死亡した土志田和枝さんの次男・康弘くん(1)が最後に歌ったハトポッポの歌。この歌を冊子のタイトルにした。「つらく悲しい事故があったことを知るだけでなく、一人ひとりに平和について考えてもらいたい」
○…南区の井土ヶ谷出身。4歳の頃、横浜大空襲に遭い、焼け野原を見た。「がれきなどがあちこちに飛んで、子どもながらに、戦争は怖ろしいと感じましたね」。自身も近親者と生活を共にし、「4人兄弟で、ろくな食事をしなかった」と戦後を振り返る。高校まで地元で過ごし、電気関係の会社に就職。20代の頃、被爆者救援の署名用紙をふと目にする。小さい時の記憶「戦争は怖い、二度と起こしてはいけない」と、署名活動や原爆のパネル展示で平和を訴え続けた。
○…墜落事故翌日の朝、バイクで現場に向かった。二人の子どもが亡くなったことを知り「自分にも3人の子がいたから・・・」他人事ではないという思いを強くした。その後『被災者を支援する会』の会員となり、多くの同志と支援活動を行ってきた。和枝さんの父、勇さんとも親交があり谷本中学校で平和教育の講演を一緒にしたことも。「(土志田家と)血は繋がってないが、これが人間なのかな」。集めた資料や文献は、自宅を埋め尽くす程に。
○…定年後に始めたリコーダーが趣味。月2回、杉田劇場で練習に励む。「子どもたちや年上の先輩方から元気をもらってます」と微笑む。来年には気仙沼で被災地支援のコンサートに参加する予定。趣味にも支援活動にも全力投球で臨んでいる。今年、活動仲間が相次いで亡くなった。「メンバーの思いも胸に、体力と気力が続く限り事件を語り継いでいきたい」
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