4月16日に発生した熊本地震から2カ月と1週間。緑区からは6月16日までに10人の職員が現地に赴き、様々な復興支援を行ってきた。本紙ではそのうちの3人の職員から現場で感じた「生の声」を聞いた。
混乱は続いている
横浜市では震災発生直後、各区役所に派遣可能な職員を募り、手を挙げた職員がそれぞれの役職を生かす場所に派遣された。
4月23日から6日間嘉島町を訪れ、町営体育館を中心に保健師のサポートをしていた奥津秀子さんは、医療機関まで自力で行くことができない被災者の体調管理や栄養相談を行っていた。現地の保健師は少人数で数えきれない避難者に応対していたという。「医療機関は早々に復旧していたが、高齢者や歩行困難者など自力で病院に行けない人が数多くいた。避難所にいるそうした方々の体調管理の大切さと対策の必要性を感じた」と当時の思いを振り返る。
東区にある湖東中学校を拠点に避難所の運営や食事の手配をした前橋昌幸さんは「支援物資の偏り」に悩まされたという。「支援物資は似通ったものが多く、続けて同じメニューを出すと食べてくれない人もいた。交通環境に恵まれた熊本で起きたなら横浜でも十分起こりうる」と警鐘を鳴らす。そんな中でも、励みとなったのは現地の暖かさ。「避難所内に『横浜から来たお兄ちゃんたちありがとう』という横断幕が飾ってあり、感動しました」と言う。
緑区としては最後の派遣となった第5陣(5月8日〜13日)で南区にあるアスパル富合で罹災証明の手続きを行った白岩真彦さんは、1カ月半以上経った現地で、まだまだ手付かずの「住宅損壊手続き」に奔走した。人手不足もあり、白岩さんたちが派遣されるまでは、市立病院の職員が手続きを行っていたという。「相談コーナーは常にパンクしていた。この件に限らず被災すると、専門知識をもった人が不足するということがわかった」と話す。
体験を庁内で共有へ
横浜市は6月末までに延べ535人の市職員の派遣を決めており、緑区としては今後も現地からの要望があれば新たな派遣を募る予定だ。
派遣職員の手配をした緑区役所室谷洋一総務課長は「熊本では前例のない連続的な地震が起きた。職員の体験を市に伝えた上で今後も区として可能な支援は続けたい」と話している。
横浜市は今後、派遣された職員の体験報告の場を設けるなどして、市全体で「横浜が被災した時の備え」を図っていくという。
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