99歳にして現役画家として活動する荒井茂雄さん(高田東)=中面人物風土記で紹介=が、このほど3冊目の作品集を出版した。過去3年に制作した平面コラージュを中心に、油彩からはじめた約70年間の作品を年代ごとに紹介するなど、作風が一目でわかる一冊。100歳を目前に今なお衰えない創作への情熱を荒井さんに聞いた。
荒井さんは、白地に赤で有名な三越の包装紙「華ひらく」のデザインでも知られる昭和の洋画家、猪熊弦一郎氏に師事。猪熊氏の仕事をパートナーとしてサポートしつつ、生業として、絵画教室等を主宰しながら作品を作り続けてきた。画壇では、猪熊氏と同じ新制作協会に所属。1998年には画業50年記念の展覧会を東京国際美術館で開催し、2018年には、紺綬褒章を授与。今回、3冊目の作品集をまとめたのは「自分の姿を整理して言葉で整え、確認したかったから」
人生変えた師との出会い
荒井さんの人生を決定づけたのは、猪熊氏との出会いだった。戦時中、横須賀海軍に召集され、同砲術学校の画室に配属。絵が得意で画室では、予科練生の教材として使う兵器の断面図などを作成していた。そこで画家の行木(なめき)正義氏と知り合い、終戦後、郷里の長野に帰っていた荒井さんの元に行木氏から「東京で一緒に仕事をしよう」という誘いの手紙が来た。上京すると、行木氏が留守を管理していたのが田園調布の猪熊氏のアトリエ。「自分は、当時まったく猪熊先生のことを知らなかった。しかし、疎開先から戻ってきた先生夫妻から、弟子として一緒にいてほしいと言われ10年ほど同居したんです。そして信用して貰えて」。師がニューヨークに拠点を移してからも、猪熊氏の出身地である香川県に丸亀市猪熊弦一郎現代美術館をつくるときも、荒井さんは猪熊氏のサポートをしてきた。その功績から師匠が故人となった今も同美術館の相談役に就く。「先生は、常に上下分け隔てなく人に接する人で、よかったことをほめ、考えの押し付けはしない稀有な人」と振り返る。そんな師匠と生活をともにする中で「絵の世界で生きるという目標が生まれ、今の自分が誕生したんです」
生きる=作品づくり
今年の新制作協会展にも作品を出品予定。「枠に嵌められた人生だったら、80歳くらいで終わっていたかも。生きている限り作り続けたい」
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