「東北を歌で少しでも元気づけられたら」。そんな思いで東日本大震災後、東北を訪れていたのは、シンガーソングライターの木村真紀さんだ。
2013年、目的地に向かっている途中、大津波に襲われ、ビルが横倒しになっていた場所が目に留まり、車を降りた。
そこは宮城県女川町で、ビラを配っていた夫妻がいた。田村孝行さん、弘美さんだ。それは、まさに偶然の出会いだった。田村夫妻は、ビラに書かれていることを木村さんらに伝えてくれた。
息子の健太さん(当時25歳)を大津波で失ったこと。健太さんは勤務先だった七十七銀行女川支店(宮城県)で、被災し、同銀行規定の防災マニュアルに従って2階建て支店屋上に避難するも、大津波にのまれ命を落とした。12人が犠牲になり、今も8人が行方不明のままだ。
「走れば、1分で行けた高台、堀切山になぜ逃げなかったのか」。その疑問が田村夫妻には残り、事故原因の解明と責任を問い続け、裁判を起こし、事故の再発防止のために命の大切さを伝える活動を行っている。
田村夫妻と木村さんが偶然出会った時。木村さんはビラをもらった代わりに自身の作成した復興応援CDを手渡した。「ここで歌ってくれませんか」。田村夫妻の要望に木村さんは応え、その場で歌を披露した。「ぽろぽろと涙を流して田村夫妻は歌を聴いてくれました」と木村さんは振り返った。それからずっと交流を続けている。木村さんが会いに行くだけではない。田村夫妻が横浜を訪れることもあった。
コロナ禍になり、開かれるようになったオンラインのしゃべり場。交流の頻度は増えた。中には田村夫妻の経験を知らない人もいる。田村夫妻は「次世代に伝えないと。犠牲になった人が気の毒。残酷な経験を二度としてほしくない」と木村さんらに話しているという。画面越しにも思いは確実に伝わっている。
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