大正末期〜昭和の北山田から 第13回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全冨雄(『望郷』から引用)
火の用心
年末になると夜番が回ってきた。
二人一組になり、夜十一時と朝二時頃、一軒づつ拍子木を叩き、軒下に立ち「ご用心なさい」と声をかけ、返事があるまで、声をかけた。
霜が降りて寒く、ひと回り回るとコタツに入り二時まで休み、また出かけた。
二回目はつらかったが、遠く他部落の拍子木が聞こえ、仲間もやっているなと、懐中電灯を頼りに回った。
終わって別れ休もうとすると、誰か玄関の戸を叩く。
「どなたですか」と戸を開けると誰もいない。
閉めるとまた叩く。その繰り返しである。
「この野郎、狸の仕業だな」と構わずにいると、今度は縁側でトントンと馬が走り回っているような音を出して悪戯をする。
あきらめて、構わずにいたら、狸もあきらめ、悪戯をやめた。
早朝、縁側は泥だらけであった。
当時の農村は、狐、狸と同居していたようなものだった。
長徳寺焼失
三十八年だったかの三月、三時頃、牛久保の長徳寺が放火で全焼した。
春の強風にあおられ、消防団の必死の消火も水不足でままならず、遠く茅ケ崎方面に飛び火した。山内地区、新田地区の消防隊の応援をうけ、夜十二時に鎮火した。
消防団の出た町会では全役員が出て、消防団員への炊き出しや、団員の家を回り着替えを集めて現場で着替えさせた。時間が長く体調を崩してはとの大島町会長の配慮からであったが、八時間の消火活動はさすが、団員も疲れていた。
この年は火災が多く、ホースを干す間もなく鉄塔からはずして出動したこともあった。
この頃は、消防署の活動は水利と道が悪く、消防団の可搬式ポンプの独壇場であった。
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