大正末期〜昭和の北山田から 第16回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全冨雄(『望郷』から引用)
動力線
北山田には動力線は入っていなかった。
戦後、二分の一モーターを使うには電化しなければならず、動力電線を敷かなければならなかった。関東配電の職員が半月くらい、私の家に泊まり込みで作業をしていた。
その当時、今は亡くなられたが南山田の清宮さんが配属されて泊まっていた。私の母のことを、「おふくろさん」といつも尋ねてきてくれた優しい電気屋さんだった。
電気が引けてもモーターの購入が大変だった。統制物資のため、とうてい購入は不可能だったが、東芝に関係していた方の配慮で、共同で数台購入することにした。ところが極秘に運搬しなければならない。そこで三輪車を頼み、荷台にむしろを積んで二人が乗り、千葉方面の工場に取りに行った。
今度は積むのが大変。工場の裏手から急いで積み込み、むしろを上に掛け、「気をつけて帰って下さい」との声を背に出発したが、統制物質を積んでいるので、荷台に乗っている者は気が気でない。交番の前を通るたびに自然に目がいってしまい、薄氷を踏む思いであった。
夕方無事、北山田にたどり着いた。
まもなく統制は解除され、モーターは出回った。
電線を引くにも先代の苦労があったことを考えると、今は幸せだと思う。
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